土州灘浪五郎
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土州灘 浪五郎(としゅうなだ なみごろう、1909年10月31日[1] - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。二子山部屋→二所ノ関部屋所属[2]。本名は石川 久治(いしかわ ひさじ)[1]。高知県香美郡香我美町(現香美市)出身[1]。最高位は西十両14枚目[1]。得意技は左四つ、下手投げ[3]。
経歴
[編集]同郷の前頭・土州山役太郎の二子山部屋に入門。1928年1月場所に初土俵を踏む。1936年5月場所に十両に昇進。この場所は1勝10敗と大きく負け越し、1場所で幕下に落ちた。幕下から三段目に落ち、1942年5月場所で廃業した[2]。
主な成績
[編集]- 通算成績:69勝92敗1休 勝率.429
- 十両成績:1勝10敗 勝率.091
- 現役在位:18場所
- 十両在位:1場所
場所別成績
[編集]春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
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1928年 (昭和3年) |
(前相撲) | x | x | x | ||
1929年 (昭和4年) |
x | x | x | x | ||
1930年 (昭和5年) |
x | x | x | x | ||
1931年 (昭和6年) |
x | x | x | x | ||
1932年 (昭和7年) |
x | x | x | x | ||
1933年 (昭和8年) |
x | x | x | x | ||
1934年 (昭和9年) |
x | x | 東幕下3枚目 6–5 |
x | ||
1935年 (昭和10年) |
西幕下筆頭 3–8 |
x | 東幕下13枚目 7–4 |
x | ||
1936年 (昭和11年) |
西幕下3枚目 6–4–1 |
x | 西十両14枚目 1–10 |
x | ||
1937年 (昭和12年) |
西幕下12枚目 6–5 |
x | 西幕下7枚目 7–6 |
x | ||
1938年 (昭和13年) |
東幕下3枚目 5–8 |
x | 西幕下17枚目 3–4 |
x | ||
1939年 (昭和14年) |
東幕下22枚目 3–4 |
x | 西幕下27枚目 3–5 |
x | ||
1940年 (昭和15年) |
東幕下34枚目 3–5 |
x | 西幕下34枚目 1–7 |
x | ||
1941年 (昭和16年) |
西三段目12枚目 3–5 |
x | 東三段目20枚目 4–4 |
x | ||
1942年 (昭和17年) |
西三段目12枚目 4–4 |
x | 西三段目3枚目 引退 4–4–0 |
x | ||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 土佐ノ浦(とさのうら)1928年1月場所 - 1935年1月場所
- 土州灘 浪五郎(としゅうなだ なみごろう)1935年5月場所 - 1942年5月場所
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
- 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 土州灘 浪五郎 - 相撲レファレンス