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土御門隆俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
土御門 隆俊
時代 江戸時代前期
生誕 寛永3年(1626年7月[1]
死没 貞享4年10月2日1687年11月6日[1]
官位 従五位右兵衛佐[1]
主君 後光明天皇後西天皇霊元天皇
氏族 土御門家
父母 父:土御門泰重、母:織田信重の娘[1]
兄弟 泰広隆俊[1]
泰福[注 1]、太田有道、栄春[1]
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土御門 隆俊(つちみかど たかとし)は、江戸時代前期の公家土御門神道の大成者・土御門泰福の父[注 1]

経歴

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寛永3年(1626年土御門泰重の次子として生まれる。正保4年(1647年叙爵図書頭右兵衛佐を歴任した[1]土御門家が代々継承してきた陰陽頭の官職は父の代より幸徳井家に取って代わられており、慶安5年(1652年)15歳上の実兄・泰広が、万治4年(1661年)には父が、いずれも陰陽頭に就かないまま没した。自身も終身陰陽頭には就かなかったものの、天和2年(1682年)子の泰福が陰陽頭を回復し、翌年には朝幕双方より諸国陰陽師支配を許されるなど家勢を挽回した[3][1]貞享4年(1687年)62歳で卒去[1]

系譜

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脚注

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注釈

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  1. ^ a b c 泰福を隆俊の兄・泰広の子とする説もあるが[2]、泰福は泰広没後の承応5年(1655年)生であり、生没年は一致しない[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 「土御門家譜」東京大学史料編纂所
  2. ^ 上田 et al. 2001.
  3. ^ 遠藤 1985, p. 41.

参考文献

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  • 遠藤克己「江戸期における陰陽道と暦道―土御門家と幸徳井家」『史叢』 35巻、日本大学史学会、1985年。 
  • 上田正昭; 西澤潤一; 平山郁夫 ほか 編『日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 978-4-06-210800-3