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土御門泰広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
土御門 泰広
時代 江戸時代前期
生誕 慶長16年4月28日1611年6月9日[1]
死没 慶安5年7月14日1652年8月17日[1]
官位 正四位右衛門佐[1]
主君 後水尾天皇明正天皇後光明天皇
氏族 土御門家
父母 父:土御門泰重、母:織田信重の娘[1]
兄弟 泰広隆俊[1]
[注 1]
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土御門 泰広(つちみかど やすひろ)は、江戸時代前期の公家

経歴

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慶長16年(1611年陰陽頭土御門久脩の嫡男・泰重の長子として生まれる。寛永4年(1627年元服任官、寛永13年(1636年叙爵[1]安倍氏の流れを引く土御門家は代々陰陽頭に補せられていたが、父の代より陰陽頭は幸徳井家に取って代わられていた。そのため泰広も陰陽頭には就任しておらず、官職は中務大輔右衛門佐に留まった[3][1]慶安2年(1649年正四位下となるが、慶安5年(1652年)父に先立って42歳で卒去した[1]

系譜

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官歴

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脚注

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注釈

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  1. ^ 甥とされる土御門泰福を泰広の子とする説もあるが[2]、泰福は泰広没後の承応5年(1655年)生であり、生没年は一致しない[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j 「土御門家譜」東京大学史料編纂所
  2. ^ 上田 et al. 2001.
  3. ^ 遠藤 1985, p. 41.

参考文献

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  • 遠藤克己「江戸期における陰陽道と暦道―土御門家と幸徳井家」『史叢』 35巻、日本大学史学会、1985年。 
  • 上田正昭; 西澤潤一; 平山郁夫 ほか 編『日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 978-4-06-210800-3