コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

坂口千仙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
坂口 千仙
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 熊本県菊池市
生年月日 (1963-03-10) 1963年3月10日(61歳)
身長
体重
170 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1984年 ドラフト6位
初出場 1986年8月31日
最終出場 1994年10月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

坂口 千仙(さかぐち ちせん、1963年3月10日 - )は、熊本県菊池市[1]出身の元プロ野球選手(内野手)。

来歴・人物

[編集]

菊池高から九州産業大学に進む。大畑徹福地経人らの投手陣を擁し、福岡六大学野球リーグでは在学中7回優勝。1984年秋季リーグ戦では打率.432で首位打者を獲得[2]、ベストナイン2回。

1984年のプロ野球ドラフト会議南海ホークスから6位指名を受け入団[1]

プロ2年目の1986年に一軍初出場を果たし、1987年のシーズン前半には遊撃手として16試合に先発するが、打撃面で結果を出せず。1989年日本ハムファイターズとの開幕戦では三塁手で先発出場を果たすが、2回裏に本塁への悪送球で先制点を許し、5回にチャンスを迎えたところで代打(広永益隆)を送られ交代。その後は出場機会が減少。

1990年11月に大学の先輩にあたる島田誠との交換トレードで日本ハムに移籍[1]。翌1991年は9月に三塁手二塁手として9試合連続先発出場。その後も内野の控えとして起用される。しかし、一軍出場のなかった1993年オフに自由契約となり、同年12月にヤクルトスワローズに移籍[1]。翌1994年は15試合の出場に終わり、同年限りで現役を引退[1]。生命保険会社に就職する[3]

2007年より、社会人野球福岡オーシャンズ9のコーチを務め[4]、その後は九州福岡東ボーイズの監督となる。

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1986 南海
ダイエー
4 1 1 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.000 1.000 1.000 2.000
1987 46 56 48 8 9 2 0 0 11 4 0 1 1 0 4 0 3 14 0 .188 .291 .229 .520
1988 12 3 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 1 .000 .333 .000 .333
1989 22 10 8 2 1 0 0 0 1 0 0 0 2 0 0 0 0 1 0 .125 .125 .125 .250
1990 10 19 19 1 3 1 0 0 4 0 0 0 0 0 0 0 0 4 1 .158 .158 .211 .368
1991 日本ハム 49 39 34 11 9 0 1 1 14 1 0 0 2 0 2 0 1 6 0 .265 .324 .412 .736
1992 20 18 15 5 3 0 0 0 3 2 1 1 2 0 1 0 0 3 0 .200 .250 .200 .450
1994 ヤクルト 15 13 10 2 1 0 0 0 1 0 0 0 2 0 0 0 1 2 1 .100 .182 .100 .282
通算:8年 178 159 137 30 27 3 1 1 35 7 1 2 9 0 7 0 6 31 3 .197 .267 .255 .522
  • 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更

記録

[編集]

背番号

[編集]
  • 43 (1985年 - 1988年)
  • 0 (1989年 - 1990年)
  • 32 (1991年 - 1993年)
  • 42 (1994年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、242ページ
  2. ^ 福岡6大学野球連盟  歴代表彰選手一覧”. 2011年10月8日閲覧。
  3. ^ ベースボールマガジン1995年春季号 1995年プロ野球ペナントレース開幕展望号 ベースボールマガジン社
  4. ^ チーム情報 2007年 登録・変更情報 日本野球連盟(JABA)”. Japan Amatetur Baseball Inc.. 2011年10月8日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]