坂東三津五郎 (6代目)
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六代目 坂東 三津五郎(ろくだいめ ばんどう みつごろう、1846年(弘化3年) - 1873年(明治6年)9月11日)は、幕末から明治初期の歌舞伎役者。屋号は大和屋。定紋は三ツ大、替紋は花勝見。俳名に秀歌・秀山。
初代坂東志うかの次男。嘉永3年(1850年)5月、江戸中村座『蘆屋道満大内鑑』(葛の葉)の童子で(初代)坂東吉彌を名乗って初舞台。父の死後、安政3年(1856年)5月、江戸守田座『新台いろは書初』で五代目坂東三津五郎を襲名、のち父に「五代目三津五郎」を追贈して本人は六代目となる。
華やかな芸風で立役と若女形として活躍。『伊勢音頭恋寝刃』(伊勢音頭)の油屋お紺、『積恋雪関扉』(関の扉)の墨染などが当り役。
疱瘡を患って顔にあばたが残るという、役者として致命的な負い目がありながら、実力でそれを補ったのだからかなりの力があった。その容貌から「あば三津」、また前名から「吉彌三津五郎」のあだ名がある。将来を嘱望されながら、28歳で死去。養子に二代目坂東志うかがいる。