坂部武夫
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坂部 武夫(さかべ たけお、1921年(大正10年)1月15日 - 1987年(昭和62年)1月26日[1])は、日本の実業家。旭硝子(現AGC)社長や、同社会長を務めた。
人物・経歴
[編集]広島県福山市出身[1][2]。旧制広島高校を経て1943年東京帝国大学法学部政治学科卒業、旭硝子入社。1975年取締役総務部長に昇格[3]。1981年から社長を務めた[2][4]。社長在任中に「21世紀に繁栄する企業作り」を標榜し[2]、新製品、新規事業への投資を中心とする拡大路線を指揮[2]。エレクトロニクス、エンジニアリングセラミックス、バイオテクノロジー分野などに積極展開した[2]。健康悪化により1987年1月には会長に退いたが、まもなく肺炎のため死去した[1][5][6]。享年66[7]。
脚注
[編集]- ^ a b c 『ジャパンWho was who 物故者事典1983?1987』(日外アソシエーツ、1988年)p.273
- ^ a b c d e 牛越弘・四方田武紀 (1984年10月20日). “広島県(5)郷里離れ郷里に熱い視線(産業人国記)”. 日経産業新聞 (日本経済新聞社): p. 12
- ^ 旭硝子第49期有価証券報告書東京大学
- ^ 歴代社長旭硝子
- ^ 「トップ社員もニコニコ長歩き」,邑井操『なぜこの人は成功するのか』
- ^ 「旭硝子(株)『旭硝子100年の歩み : 伝統・創造・革新. 資料編』(2007.09)」渋沢社史データベース
- ^ 「社長の死亡年齢」,箱田忠昭『時間革命 -- 心にゆとりのある人間ほど仕事ができる』
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