坂間訓一
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坂間 訓一(さかま くんいち、1898年(明治31年)2月11日[1][2] - 1984年(昭和59年)2月7日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]神奈川県出身[1][2][3]。農業・坂間重次郎の長男として生まれる[1]。厚木中学校(現神奈川県立厚木高等学校)卒業を経て、1919年(大正8年)5月、陸軍士官学校(31期)を卒業[1][2][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し近衛歩兵第3連隊付となる[1][4]。1920年(大正9年)から1923年(大正12年)までシベリアに派遣された(ロシア語研究)[1]。1928年(昭和3年)12月、陸軍大学校(40期)を卒業した[1][2][3]。
1929年(昭和4年)12月、参謀本部付勤務(ロシア班)となり、1930年(昭和5年)12月、ポグラニチナヤ特務機関長に転じた[1]。1933年(昭和8年)5月、参謀本部員(戦史課)に就任し、1934年(昭和9年)8月、歩兵少佐に進級[1]。同年12月、陸大研究部主事に就任した[1]。
1936年(昭和11年)8月から1944年(昭和19年)12月まで、陸大教官を務めた[1]。この間、1937年(昭和13年)3月、歩兵中佐に、1940年(昭和15年)8月、歩兵大佐に、1944年8月、陸軍少将にそれぞれ昇進した[1][3]。1944年12月、陸大幹事となり、1945年(昭和20年)8月、第1方面軍参謀副長に発令され、同月15日に着任し終戦を迎えた[1][2][3]。その後、シベリア抑留となり、1956年(昭和31年)8月に帰国した[1][注 1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『日本陸軍将官辞典』334頁、『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』432頁では12月26日に帰国。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。