坊門親忠
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時代 | 南北朝時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 大納言兼民部卿(南朝) |
主君 | 後醍醐天皇→後村上天皇→長慶天皇 |
氏族 | 藤原北家道隆流、坊門家 |
父母 | 父:坊門清忠 |
兄弟 | 重隆、親忠、女子? |
坊門 親忠(ぼうもん ちかただ)は、南北朝時代の公卿。参議坊門清忠の子。父と同じく、南朝に仕えた。
経歴
[編集]父とともに吉野入りして早くから南朝に仕えたが、具体的な官歴は不明である。初めは綸旨の奉者として史料に散見され、延元2年/建武4年(1337年)には侍従、延元4年/暦応2年(1339年)には少納言、興国元年/暦応3年(1340年)には蔵人・右少弁、興国2年/暦応4年(1341年)から翌年にかけては左少弁、興国3年/康永元年(1342年)には右中弁、興国5年/康永3年(1344年)から翌々年にかけては大蔵卿の署判を残した。更に歌人として、興国5年/康永3年(1344年)と正平11年/延文元年(1356年)3月に催された内裏歌会に詠進している。『南朝公卿補任』[1]には、正平14年(1359年)8月に従二位前権中納言民部卿で薨じたと見えるが、その後も存命したことを示す史料がある。例えば、正平20年/貞治4年(1365年)の『内裏三百六十首歌』に詠進している「坊門大納言」(権官か)とは親忠のことと考えられ、また『五条家文書』の中には、正平24年/応安2年(1369年)4月五条良遠の許へ届けられたと考えられる「坊門大納言親忠卿」書状の追書があり、それによると、親忠はある人物(不詳)の去就について良遠から内々に示してくれるように望んでいる。親忠が薨去したのは、それからさほど下らない時期であろう。和歌は、『新葉和歌集』に2首が入集する。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 小木喬 『新葉和歌集―本文と研究』 笠間書院、1984年 ISBN 9784305101815
- 瀬野精一郎編 『南北朝遺文 九州編 第4巻』 東京堂出版、1985年 ISBN 9784490302271
- 三浦龍昭 「南朝の綸旨について -後村上天皇綸旨の基礎的考察-」(阿部猛編 『中世政治史の研究』 日本史史料研究会企画部、2010年 ISBN 9784904315095)