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城倉義衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
城倉 義衛
生誕 1887年9月27日
日本の旗 日本 長野県
死没 (1945-09-13) 1945年9月13日(57歳没)
連合国軍占領下の日本の旗 連合国軍占領下の日本 愛知県
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1908年 - 1943年
最終階級 陸軍中将
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城倉 義衛(しろくら よしえ、1887年明治20年)9月27日[1] - 1945年昭和20年)9月13日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。

経歴

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1887年(明治20年)に長野県で生まれた[1]1908年(明治41年)5月27日陸軍士官学校第20期を優等で卒業し[2]12月25日歩兵少尉任官[2]。その後歩兵科から憲兵科に転科し[2]1927年(昭和2年)に東京帝国大学法学部法学科卒業[2]1934年(昭和9年)に陸軍憲兵大佐に進級[3]、憲兵司令部警務部長に就任し[3]二・二六事件の処理に当たった[1]1936年(昭和11年)に京城憲兵隊長[3]1937年(昭和12年)に関東憲兵隊総務部長を歴任[3]

1938年(昭和13年)3月に陸軍少将に進級し[3]、7月に関東憲兵隊司令官に就任[3]1940年(昭和15年)3月に陸軍憲兵学校長を経て[1]、12月に陸軍中将に進級し[3]、憲兵司令部本部長に就任[1]1941年(昭和16年)に北支那派遣憲兵隊司令官に転じ[1]、中国大陸に出動。1943年(昭和18年)8月26日に待命[3]8月30日予備役に編入された[3]。予備役編入後は中部国民勤労訓練所長を務め[4]、終戦を迎えた1945年(昭和20年)9月13日愛知県で自決した[4]。自決の理由や状況は不明である[4]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 福川 2001, 385頁.
  2. ^ a b c d 伊藤 2018, 154頁.
  3. ^ a b c d e f g h i 外山 1981, 255頁.
  4. ^ a b c 伊藤 2018, 156頁.

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 伊藤禎 著『大東亜戦争責任を取って自決した陸軍将官26人列伝』展望社、2018年。ISBN 4885463513