城倉義衛
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城倉 義衛 | |
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生誕 |
1887年9月27日 日本 長野県 |
死没 |
1945年9月13日(57歳没) 連合国軍占領下の日本 愛知県 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1908年 - 1943年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
城倉 義衛(しろくら よしえ、1887年(明治20年)9月27日[1] - 1945年(昭和20年)9月13日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1887年(明治20年)に長野県で生まれた[1]。1908年(明治41年)5月27日に陸軍士官学校第20期を優等で卒業し[2]、12月25日に歩兵少尉任官[2]。その後歩兵科から憲兵科に転科し[2]、1927年(昭和2年)に東京帝国大学法学部法学科卒業[2]。1934年(昭和9年)に陸軍憲兵大佐に進級[3]、憲兵司令部警務部長に就任し[3]、二・二六事件の処理に当たった[1]。1936年(昭和11年)に京城憲兵隊長[3]、1937年(昭和12年)に関東憲兵隊総務部長を歴任[3]。
1938年(昭和13年)3月に陸軍少将に進級し[3]、7月に関東憲兵隊司令官に就任[3]。1940年(昭和15年)3月に陸軍憲兵学校長を経て[1]、12月に陸軍中将に進級し[3]、憲兵司令部本部長に就任[1]。1941年(昭和16年)に北支那派遣憲兵隊司令官に転じ[1]、中国大陸に出動。1943年(昭和18年)8月26日に待命[3]、8月30日に予備役に編入された[3]。予備役編入後は中部国民勤労訓練所長を務め[4]、終戦を迎えた1945年(昭和20年)9月13日に愛知県で自決した[4]。自決の理由や状況は不明である[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 伊藤禎 著『大東亜戦争責任を取って自決した陸軍将官26人列伝』展望社、2018年。ISBN 4885463513。