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堤敬長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
堤 敬長
時代 江戸時代
生誕 1755年7月22日宝暦5年6月14日
死没 1800年10月11日寛政12年8月23日
官位 正三位参議
主君 桃園天皇後桜町天皇後桃園天皇光格天皇
氏族 堤家
父母 父:堤栄長
母:満徳院
安(冷泉為村の娘)
堤広長
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堤 敬長(つつみ たかなが、1755年7月22日宝暦5年6月14日) - 1800年10月11日寛政12年8月23日))は、江戸時代公家参議堤家8代目当主。

生涯

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参議堤栄長の子として生まれる。母は秋月藩主・黒田長貞の娘の安。1787年7月11日天明7年5月26日)に叙爵を受けて正三位となり、参議となる[1][2]

1800年10月11日寛政12年8月23日)、死去[1]

系譜

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脚注

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  1. ^ a b 1988年,続群書類従完成会『公卿諸家系図』
  2. ^ 1983年『弁官補任』