堤敬長
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 1755年7月22日(宝暦5年6月14日) |
死没 | 1800年10月11日(寛政12年8月23日) |
官位 | 正三位、参議 |
主君 | 桃園天皇→後桜町天皇→後桃園天皇→光格天皇 |
氏族 | 堤家 |
父母 |
父:堤栄長 母:満徳院 |
妻 | 安(冷泉為村の娘) |
子 | 堤広長 |
堤 敬長(つつみ たかなが、1755年7月22日(宝暦5年6月14日) - 1800年10月11日(寛政12年8月23日))は、江戸時代の公家。参議。堤家8代目当主。
生涯
[編集]参議・堤栄長の子として生まれる。母は秋月藩主・黒田長貞の娘の安。1787年7月11日(天明7年5月26日)に叙爵を受けて正三位となり、参議となる[1][2]。
1800年10月11日(寛政12年8月23日)、死去[1]。