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堤維長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
堤 維長
時代 江戸時代
生誕 1793年2月21日寛政5年1月11日
死没 1859年9月6日安政6年8月10日
官位 正二位権中納言
主君 光格天皇仁孝天皇孝明天皇
氏族 堤家
父母 父:堤広長
母:菊(松平頼裕の娘)
兄弟 堤言長、道子(津守国福室)[1]
清閑寺貞子(清閑寺昶定の娘)
堤哲長
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堤 維長(つつみ これなが、1793年2月21日寛政5年1月11日) - 1859年9月6日安政6年8月10日))は、江戸時代公家非参議堤家10代目当主。

生涯

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権中納言堤広長の子として生まれる。母は松平頼裕の娘の菊。1830年1月15日文政12年12月21日)に叙爵を受けて従三位となり、後に正三位非参議となる[2][3]

1859年9月6日安政6年8月10日)、死去[3]

系譜

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脚注

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  1. ^ 鷹司政熈の十二女で堤広長の養女。
  2. ^ 1983年『弁官補任』
  3. ^ a b 1988年,続群書類従完成会『公卿諸家系図』