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塩冶貞清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

塩冶 貞清(えんや さだきよ[1][2]、旧字体:鹽冶 貞淸[3]、生年不詳 - 正中3年3月28日1326年5月1日[4][1][2][5])は、鎌倉時代後期の武将[1]雲州源氏

来歴

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塩冶頼泰の子[1][5][4](長男[2]とされるが兄弟に塩冶秀時がいたようである[3][6])。通称は孫二郎[1][2]佐々木貞清(ささき -)とも呼ばれる[1][2]。近江判官[4]、塩冶判官と称したとも伝わる[3]

鎌倉幕府第9代執権北条貞時北条氏得宗家当主であった期間(1284年-1311年)内に元服[注釈 1]して、貞時と烏帽子親子関係を結んでその偏諱(「貞」の字)を受けた[7]人物とみられる。

父・頼泰より出雲守護を継承[1][2][7][8]し、左衛門尉[3]検非違使[3]近江守(近江判官[5])に任ぜられ[1]従五位下に叙任[3]

正和3年3月8日(1314年3月24日)、出雲鰐淵寺に祖父・佐々木泰清が建立した三重多宝塔を、父・塩冶頼泰が修復していたが未完成に終わっていた為、この完成を発願した。

出雲國鰐淵寺三重多寳塔事。
奉安置、
銀塔一基、法華經一部唐本、佛舎利一粒。
右、祖父・信州禅門泰覺(佐々木泰清)、
爲除宿痾之危、發起造塔之願、依之造立
三重之塔婆、修復二尊之形像、其上結構
五輪之銀塔、安置二種之聖財、親父・
左金吾校尉(塩冶)頼泰、又續而致奉加、
々修造。然而内外半作、荘厳未終、仍且爲
遂當時之造作、且爲助永代之破損、寄附壹
町之田畝、速果二代之宿望畢。故以此銀塔
奉納彼梵閣、仰願伽藍安穩而亞繁昌於後佛
之暁、聖財湛然而耀威光於末法之昏、自利
々他、兼濟無窮而己。
正和三年三月八日
従五位下行左衞門少尉源朝臣貞清(花押) — 『出雲守護・佐々木貞清願文』
(所収『出雲鰐淵寺文書』第39号)


その他の活動としては、正中2年(1325年[注釈 2]5月に鰐淵寺内の守護使入部を停止したり[1][2]、翌3年(1326年)に杵築大社頭役の勤否を六波羅に注進したりしたことが伝わっている[1]。後者と同年の3月28日に死去[1][2][5]。子には塩冶高貞[4]塩冶時綱[4]塩冶貞泰[4]がおり[3](他に寂阿・宗貞・宗泰・泰綱・高顕がいたとする系図もある[6])、嫡子であった高貞が跡を継いだ[5]

脚注

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注釈

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  1. ^ 元服はおおよそ10代前半もしくはこの前後で行われることが多かったことから、生誕年も1300年以前であったと推定することができる(但し、早めの元服であれば1300年前半生まれの可能性はある)。
  2. ^ この年の段階でも出雲守護であったことが確認されている[9]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 安田 1990, p. 240, 勝山清次「佐々木貞清」
  2. ^ a b c d e f g h 佐々木貞清」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』https://kotobank.jp/word/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E8%B2%9E%E6%B8%85-1078065#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E7.89.88.20.E6.97.A5.E6.9C.AC.E4.BA.BA.E5.90.8D.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E5.85.B8.2BPlus 
  3. ^ a b c d e f g 尊卑分脈
  4. ^ a b c d e f 今井尭ほか編 1984, p. 331.
  5. ^ a b c d e 西ヶ谷 1998, p. 301, 佐々木氏系図
  6. ^ a b 塩冶氏系圖
  7. ^ a b 紺戸淳「武家社会における加冠と一字付与の政治性について」『中央史学』2号、1979年、p.15系図・p.21。 
  8. ^ 西ヶ谷 1998, p. 190.
  9. ^ 西ヶ谷 1998, p. 193.

参考文献

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  • 今井尭ほか編『日本史総覧』 3(中世 2)、児玉幸多小西四郎竹内理三監修、新人物往来社、1984年3月。ASIN B000J78OVQISBN 4404012403NCID BN00172373OCLC 11260668全国書誌番号:84023599 
  • 西ヶ谷恭弘 編『国別 守護・戦国大名事典』東京堂出版、1998年。 
  • 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』(コンパクト)新人物往来社、1990年9月。ISBN 440401757XNCID BN05393733OCLC 673238028全国書誌番号:91021817 

外部リンク

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