塩川賢三
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塩川 賢三(しおかわ けんぞう、1870年4月5日(明治3年3月5日)[1] - 没年不明)は、日本の実業家。深志倉庫社長[1][2]。六十三銀行常務取締役[3]。軽井沢ホテル[4][5]、東西商事各取締役[6]。佐久貯蓄銀行監査役[1][2][5]。族籍は長野県平民[2][6]。
人物
[編集]長野県平民・塩川仁助の二男[1]。塩川幸太の弟[2][6]。塩川三四郎の兄[2][6]。後分家して一家を創立する[6]。銀行会社の重役である[6]。住所は長野県北佐久郡三岡村[3][6](現小諸市)。
家族・親族
[編集]- 塩川家
- 妻・なか(1871年 - ?、長野、小山善次郎[1][3]、あるいは小山善治郎の長女[6])
- 長男[3]
- 三男[3]
- 長女[3]
- 二女・ゆき(1896年 - ?、判事、高野誠三の妻)[3]
- 四女[2]
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『人事興信録 第5版』し21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月13日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第6版』し18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第8版』シ11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月12日閲覧。
- ^ 『日本全国諸会社役員録 第25回』長野県 下編504頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月1日閲覧。
- ^ a b 『大日本紳士名鑑』長野県6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年1月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第7版』し21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月12日閲覧。
参考文献
[編集]- 竹内伊四郎編『大日本紳士名鑑』明治出版社、1916年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第25回』商業興信所、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。