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塩次伸二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
塩次伸二
出生名 塩次伸二
出身地 日本の旗 日本福岡県
死没
ジャンル ブルース
職業 ギタリスト
担当楽器 ギター
活動期間 1971年2008年
レーベル 徳間バーボン、Show Boat、InvitationZAIN
共同作業者 ウエスト・ロード・ブルース・バンド、しいちゃんブラザーズ、ダウンホーマーズ
公式サイト http://www.ss335.com/

塩次伸二しおつぐしんじ, 1951年3月5日2008年10月19日)は、日本のギタリスト。ウエスト・ロード・ブルース・バンド創設メンバーのひとり。

来歴

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1951年3月5日[1]、福岡県に生まれる[2]

1971年、塩次は同志社大学の軽音楽部に在籍していた永井"ホトケ"隆、小堀正に山岸潤史と松本照夫を加え、ウエスト・ロード・ブルース・バンドを結成[3][2]。彼らは翌1972年には、B.B.キングの大阪公演のオープニング・アクトを務めた[2]

1975年、ウエスト・ロード・ブルース・バンドを脱退し、ドラマーの井上茂のバンド、しいちゃんブラザーズやハーモニカ奏者の入道らと結成したダウンホーマーズなどで活動する。ダウンホーマーズは1976年にアルバム『Oh Yeah!』をリリースした[4]

1984年には、ウエスト・ロード・ブルース・バンドがオリジナル・メンバーで再結成し、アルバム『JUNCTION』をリリースした。

1987年、初のソロ・シングル『ビッグ・タウン・ブルー』をリリース。

1990年、ピアニスト、有吉須美人(アリヨ)のバンド、アリヨズ・シャッフルに参加。シカゴのヴァレリー・ウェリントンをヴォーカリストに迎えて、日本をツアーした[5]。このときの高円寺JIROKICHIのライヴはアルバム『Shuffle』として1991年にリリースとなった[6]

1993年、チャールズ・アーランドと酒井潮という2人のオルガン奏者を迎え、塩次伸二ブルーヴィー・ミーティン名義で『COOKIN' WITH B-3』をリリース。4ビート、ジャンプからラテン・サウンドまで展開した[7]

2001年にはNacomiが塩次のバンドに加入し、2年間活動を共にしている。塩次は、彼女の2007年のデビュー・アルバム『Grabbed My Heart』に客演した[8]

2001年以降、ポール・ジャクソンマーティー・ブレイシー小島良喜をメンバーとしたBAD BOYS BLUES BAND、セッション・バンドのブルース・アンボセリなどでも活動している[2]

2007年には、ソロ名義としては初のアルバムとなる『Can't Stop Playin' The Blues』をリリース。同年、ウエスト・ロード・ブルース・バンド時代からの盟友山岸潤史とのニューオーリンズ録音の共演作『TOGETHER AGAIN ~Blues in New Orleans』もリリースしている[9]

2008年10月18日、公演のため訪れた栃木県佐野市で公演前に体調が急変、翌10月19日、同市の病院にて心不全のため死去した。57歳だった[10]

ディスコグラフィー

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ウエスト・ロード・ブルース・バンド

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  • 1975年ブルース・パワー』 (徳間バーボン)
  • 1975年ライヴ・イン・キョート』 (徳間バーボン)
  • 1984年ジャンクション』 (ビクター/インヴィテーション)
  • 1995年ウエストロード・ライヴ・イン・ニューヨーク』 (ZAIN)[11]

ソロ作など

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  • 1976年Oh Yeah!』 (Show Boat) ※ダウンホーマーズ名義[4]
  • 1993年Cookin' With B-3』 (Vivid Sound) ※塩次伸二ブルーヴィー・ミーティン名義
  • 1996年ブラック・ミュージックfrom Jirokichi』 (P-Vine) ※Paul Jackson、Hi Tide Harrisらとのセッション盤[12]
  • 2007年Can't Stop Playin' The Blues』 (Mojo) ※ソロ作
  • 2007年TOGETHER AGAIN ~Blues in New Orleans』 (ビクター) ※山岸潤史との共演作

脚注

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外部リンク

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