塩谷惟守
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時代 | 平安時代末期 - 鎌倉時代初期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 建保元年(1213年)[1] |
別名 | 塩谷三郎 |
官位 | 従五位下三河守 |
氏族 | 塩谷氏 |
父母 | 父:塩谷惟広 |
兄弟 | 惟守、横田頼業室、某(次男)、惟義 |
塩谷 惟守(しおのや これもり)は、鎌倉初期の下野国塩谷郡の武将。
事績
[編集]塩谷惟広の嫡男として生まれる。本家である塩谷氏が藤原系の朝業によって継承され、源姓塩谷氏の血筋は惟広やその子惟守によって守られてきたが、建保元年(1213年)の和田合戦において和田義盛に組して討死する[2]。この戦い以降、源姓塩谷氏の勢力は鎌倉での地位を失い、急速に衰退していく。
脚注
[編集]参考資料
[編集]- 『喜連川町史』