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境界軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

境界軍(Army of the Border)は南北戦争中の北軍。 1864年の南軍スターリング・プライスの侵攻に対応するために、カンザス軍管区(Department of Kansas)下の部隊を集めて編成された。司令官はサミュエル・カーティスが務めた。

概要

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南カンザス小軍管区(District of South Kansas)司令官であったジェームズ・ブラント(James G. Blunt)少将が、境界軍第1師団の師団長となった。第1師団は3個志願兵騎兵旅団と1個カンザス州民兵旅団で構成されていた。また、ジョージ・ダイツラー(George Deitzler)少将が、民兵で構成される大2師団を率いた。

ブラント師団は1864年10月19日の第二次レキシントンの戦い(Second Battle of Lexington)と10月21日のリトルブルー川の戦い(Battle of Little Blue River)に参加し、どちらも敗北に終った後にカンザス州ウェストポートでカーティスと合流した。1864年10月23日ウェストポートの戦いでは、カーティスの2個師団は、ミズーリ軍管区(Department of the Missouri)から派遣されたアルフレッド・プレソントンの騎兵師団が加わり、兵力は22,000人に達した。戦闘の後、民兵部隊はそれぞれの故郷に戻り、ブラントの志願兵部隊のみがプレソントンの師団と共に追撃を行った。10月28日、ブラントの師団は第二次ニュートニアの戦い(Second Battle of Newtonia)で、プライスを打ち破り、これが最後の大きな戦いとなった。

司令官

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主要な戦い

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戦闘序列

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ウェストポートの戦い

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師団 旅団

境界軍
サミュエル・カーティス少将

第1師団(特設騎兵師団)
James G. Blunt少将

  • 第1旅団(3個騎兵連隊、1個砲兵中隊)
  • 第2旅団(3個騎兵連隊、1個砲兵中隊)
  • 第3旅団(7個民兵騎兵連隊、2個砲兵中隊)
  • 第4旅団(2個騎兵連隊、1個砲兵中隊)

第2師団(カンザス民兵師団)
George Deitzler少将

  • 12個民兵歩兵連隊
  • 3個砲兵中隊
  • 独立1個都市護衛部隊

ミズーリ軍管区騎兵師団
アルフレッド・プレソントン少将

  • 第1旅団(1個騎兵連隊、3個民兵騎兵連隊)
  • 第2旅団(4個騎兵連隊、3個民兵騎兵連隊)
  • 第3旅団(3個騎兵連隊、2個民兵騎兵連隊)
  • 第4旅団(5個騎兵連隊)
  • 砲兵部隊(3個砲兵中隊)
  • 独立部隊(2個騎兵連隊)

第16軍団分遣隊

2個師団

5個旅団

マインクリークの戦い

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師団 旅団

境界軍
サミュエル・カーティス少将

第1師団
James G. Blunt少将

  • 第1旅団(2個騎兵連隊、1個民兵騎兵大隊、1個砲兵中隊)
  • 第2旅団(1個民兵歩兵連隊、1個騎兵連隊、3個砲兵中隊)
  • 第3旅団(1個民兵歩兵連隊、1個民兵騎兵大隊、2個砲兵中隊)
  • 第4旅団(2個騎兵連隊、1個砲兵中隊)

ミズーリ軍管区騎兵師団
アルフレッド・プレソントン少将

  • 第1旅団(3個民兵騎兵連隊)
  • 第2旅団(4個騎兵連隊、3個民兵騎兵連隊、2個砲兵中隊)
  • 第3旅団(1個騎兵連隊、4個民兵騎兵連隊、2個砲兵中隊)
  • 第4旅団(5個騎兵連隊)

参考資料

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  • Eicher, John H., & Eicher, David J., Civil War High Commands, Stanford University Press, 2001, ISBN 0-8047-3641-3.