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夏月 (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
戦後の夏月
艦歴
計画 1941年度(マル急計画
起工 1944年5月1日
進水 1944年12月2日
竣工 1945年4月8日
除籍 1945年10月5日
その後 復員輸送の後
1947年イギリスに引き渡し(解体)
要目(計画)
排水量 基準:2,701英トン
公試:3,470トン
全長 134.2m
全幅 11.6m
吃水 4.15m
機関 ロ号艦本式缶3基
艦本式タービン2基
2軸 52,000馬力
速力 33.0ノット
航続距離 18ノットで8,000海里
燃料 重油:1,080トン
乗員 263名/446名[1]
兵装
(1945年)
65口径10cm連装高角砲 4基8門
25mm機銃 3連装7基
同単装機銃多数(機銃は推定)
61cm4連装魚雷発射管 1基4門
九三式魚雷8本)
九四式爆雷投射器2基
爆雷投下軌条2条(推定)
九五式爆雷 54個
電探
(1945年)
22号電探1基
13号電探2基
水測兵装 九三式探信儀1基
九三式水中聴音機1基)[2]

夏月(なつづき)は、日本海軍駆逐艦秋月型駆逐艦の11番艦である。計画番号順では本艦の後に花月が続くが、竣工としては本艦が秋月型の最後となった。

艦名は片桐大自の研究によれば夏の月の意味。

艦歴

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1941年(昭和16年)の戦時急造計画(マル急計画)仮称第364号艦[3]佐世保海軍工廠1944年(昭和19年)5月1日に起工[3]。同年12月2日に進水[3]1945年(昭和20年)4月8日に竣工[3][4]呉鎮守府籍となった[5]。当初は三菱長崎造船所で建造される予定であったが、線表改訂により佐世保での建造に変更された[5]。また、当初は昭和20年3月末の竣工予定だったが、機銃の入手遅延により竣工期日が遅れた[6]

就役後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(司令官高間完海軍少将海軍兵学校41期)に編入[4]。4月20日に残工事を終え[7]、翌4月21日に瀬戸内海に向けて出港する所[8]、工事の都合により出港予定日は4月23日[9]、4月24日[10]と繰り下げられ、4月25日に瀬戸内海に到着して[11]訓練を開始した。5月20日付で第三十一戦隊鶴岡信道少将・海兵43期)、軽巡洋艦北上」、駆逐艦波風」とともに海上挺進部隊を編成し[12]、次いで5月25日付で第四十一駆逐隊に編入される[13]。この間の5月3日には第十一水雷戦隊の臨時旗艦を務めた[14]。 6月16日、六連島灯台[4]の193度3,100メートル地点で触雷し小破[6]。佐世保に曳航の上、佐世保海軍工廠で7月1日から25日の間修理を行った[6]。終戦を門司で迎えた。本艦が秋月型の中で完成が最後で終戦まで4ヵ月ほどであり、大規模な戦闘には参加出来なかった。

10月5日、除籍[4]。その後は復員輸送艦となる。横須賀で特別保管艦として係留の後[6]1947年(昭和22年)8月25日[6]浦賀で賠償艦としてイギリスに引き渡されるが、直ちに浦賀船渠に売却された。「夏月」は同年9月3日に特別輸送艦の指定を解かれた[15]。9月10日から解体が開始され、翌年3月1日に完了した[6][16]

歴代艦長

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※脚注なき限り『艦長たちの軍艦史』360頁による。

艤装員長

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  1. 西野繁 中佐:1945年2月15日 - 1945年4月8日[17]

駆逐艦長

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(注)1945年12月20日以降は「艦長」[18]

  1. 西野繁 中佐/第二復員官/第二復員事務官/復員事務官:1945年4月8日 - 1946年12月28日[19]、以後1947年8月5日まで艦長を置かず。
  2. 松下寛 復員事務官:1947年8月5日[20] - 1947年9月5日[21]

脚注

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  1. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128000, 6頁
  2. ^ 秋月型駆逐艦では水中聴音機は後日装備とされたらしい。装備時期は不明。『秋月型駆逐艦』、39頁、『日本の軍艦 11』、158頁による。
  3. ^ a b c d #ハンディ判艦艇写真集18p.16『秋月型建造工程一覧表』
  4. ^ a b c d #ハンディ判艦艇写真集18p.33(駆逐艦『秋月型』行動年表)◇夏月◇
  5. ^ a b 遠藤、218頁
  6. ^ a b c d e f 遠藤、219頁
  7. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128000, 15頁
  8. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128000, 18頁
  9. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128000, 19頁
  10. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128000, 21頁
  11. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128000, 28頁
  12. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128000, 34、47頁
  13. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128000, 33、49頁
  14. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128000, 57頁
  15. ^ 昭和22年9月3日付 復員庁第二復員局 復二第629号。
  16. ^ #ハンディ判艦艇写真集18p.36(特別保管艦時代夏月写真)
  17. ^ 昭和20年4月23日付 海軍辞令公報 甲 第1780号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072104400 
  18. ^ 昭和20年12月20日付 第二復員省 内令第12号。
  19. ^ 昭和22年1月17日付 復員庁第二復員局辞令公報 甲 第121号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072160100 
  20. ^ 昭和22年8月18日付 復員庁第二復員局辞令公報 第52号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072165800 
  21. ^ 昭和22年9月11日付 復員庁第二復員局辞令広報 第56号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072165900 

参考文献

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  • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和二十年四月一日至昭和二十年四月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和二十年五月一日至昭和二十年五月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(7)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030128000
  • 遠藤昭『高角砲と防空艦』(原書房、1975年)
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝 全八六〇余隻の栄光と悲劇』(光人社、1993年)、ISBN 4-7698-0386-9
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦11 駆逐艦II』(光人社、1990年)、 ISBN 4-7698-0461-X
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』(光人社、2005年) ISBN 4-7698-1246-9
  • 雑誌『丸』編集部 編『ハンディ判日本海軍艦艇写真集18 駆逐艦秋月型・松型・橘型・睦月型・神風型・峯風型』光人社、1997年11月。ISBN 4-7698-0819-4 
  • 「歴史群像」編集部『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.23 秋月型駆逐艦』(学習研究社、2001年) ISBN 4-05-602063-9

関連項目

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