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新月 (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
計画 1939年度(④計画
起工 1941年12月8日
進水 1942年6月29日
竣工 1943年3月31日
喪失 1943年7月6日
除籍 1943年9月10日
要目(計画)
排水量 基準:2,701英トン
公試:3,470トン
全長 134.2m
全幅 11.6m
吃水 4.15m
機関 ロ号艦本式缶3基
艦本式タービン2基
2軸 52,000馬力
速力 33.0ノット
航続距離 18ノットで8,000海里
燃料 重油:1,080トン
乗員 263名/294名[1]
兵装 65口径10cm連装高角砲 4基8門
25mm機銃 3連装4基
61cm4連装魚雷発射管 1基4門
九三式魚雷8本)
九四式爆雷投射器2基
九五式爆雷 54個
水測兵装 九三式探信儀1基
九三式水中聴音機1基)[2]

新月(にいづき)は[3]日本海軍太平洋戦争で運用した駆逐艦[4]

概要

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一等駆逐艦新月(にいづき)は、秋月型駆逐艦の5番艦である[5]。艦名は新月(しんげつ)の訓読みで、のあと初めて夕方に見えるをいう[6]。 三菱重工業長崎造船所で、1941年(昭和16年)12月から1943年(昭和18年)3月にかけて建造された[5]。竣工後は訓練部隊の第十一水雷戦隊に所属し、日本本土で訓練や護衛任務に従事した[4]

当時の日本海軍は、第八艦隊に旗艦設備を備えた秋月型駆逐艦を配備する予定であった[7]。新月は第八艦隊に編入され[8]、6月中旬にソロモン諸島へ進出する[4]。7月初旬からのニュージョージア島の戦いでは、輸送作戦や襲撃作戦に従事する。 外南洋部隊増援部隊旗艦(指揮官秋山輝男第三水雷戦隊司令官)[9]として輸送作戦に従事中の7月5日[10]クラ湾夜戦にて撃沈された[11][12]。第三水雷戦隊司令部も、新月沈没により全滅した[13](秋山司令官戦死)[12][14]。新月は竣工から3ヶ月強で戦没となり、これは秋月型で最も短い[4]

艦歴

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竣工まで

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1939年(昭和14年)度計画(④計画)仮称108号艦[5][15]。当時の三菱重工業長崎造船所では、大和型戦艦武蔵進水後の船台で、秋月型駆逐艦を並べて建造していた[16][17]太平洋戦争開戦日の1941年(昭和16年)12月8日、新月は同造船所で起工した[15][18]

1942年(昭和17年)5月15日、軽巡洋艦「能代[19]や島風型駆逐艦「島風」と共に艦名が与えられた[3]。同日附で秋月型駆逐艦として類別される[20]6月29日に進水した[5][21]

1943年(昭和18年)2月20日、日本海軍は金田清之中佐(海兵50期、睦月型駆逐艦長月および睦月型菊月駆逐艦長[22]、白露型駆逐艦時雨駆逐艦長[23]等を歴任。陽炎型駆逐艦早潮沈没時駆逐艦長[24][25])を、新月艤装員長に任命した[26][27]。 2月23日、長崎海軍監督官事務所の新月艤装員事務所は事務を開始する[28]。 それから間もない3月31日、「新月」は竣工した[5][29]。同日附で新月艤装員事務所を撤去する[30]。金田艤装員長も制式に新月駆逐艦長(初代)となった[31][32]。 同日附で、本艦は横須賀鎮守府籍となる[33]第一艦隊附属[34]

第十一水雷戦隊

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1943年(昭和18年)4月1日、新造艦の訓練を目的とする第十一水雷戦隊が編成された[35][36]。 「新月」は同隊に編入の上、瀬戸内海に回航された[37]。内海西部で、軽巡「龍田」と共に訓練に従事した[38]。 4月下旬、「新月」は駆逐艦「浜風」(第17駆逐隊)とともに航空戦艦に改装予定の伊勢型戦艦「日向」を佐世保まで護衛することになった[39]。4月28日、日向、新月、浜風は内海西部を出発[40][41]。29日、佐世保に到着した[42][43]

5月上旬、「新月」は新鋭軽巡「大淀[44]や第五十航空戦隊(鳳翔龍鳳)と共に内海西部にあった[45][46]。 5月9日から14日まで、「新月」は第十一水雷戦隊の臨時旗艦を務めた[47][48]

5月12日、アメリカ軍はアッツ島に来襲してアッツ島の戦いが生起する[49][50]。 5月14日付で、新月、最上機動部隊(指揮官小沢治三郎第三艦隊司令長官)に編入[51][52] 5月下旬、「新月」は連合艦隊主力艦艇(武蔵、瑞鶴、翔鶴、瑞鳳、飛鷹、金剛、榛名、阿賀野、大淀)等と共に、北方作戦(アリューシャン方面の戦い)に備えて横須賀で待機する[53][54]。 だが5月29日(報告30日)、アッツ島守備隊(指揮官山崎保代陸軍大佐)は玉砕した[55][56]。 有力な米水上部隊の不在、燃料不足、守備隊玉砕という観点より、機動部隊の北方作戦参加は中止された[57][58]。各艦・各部隊は横須賀を経由して内海西部へ移動する[59]。秋月型3隻(涼月、初月、新月)と第27駆逐隊(時雨、有明、夕暮)も、第一航空戦隊(瑞鶴、翔鶴、瑞鳳)と巡洋艦2隻(最上、大淀)を護衛して内海西部に移動した[60][61]

ニュージョージア島の戦い

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5月30日(6月1日附)で、「新月」は第八艦隊(司令長官鮫島具重中将・海兵37期)[35]に配属される[62]。同時にラバウルへの早期進出を下令された[63]。当時の日本海軍(軍令部、連合艦隊)は、第八艦隊の巡洋艦戦隊の対空火力を懸念し、とりあえず軽巡洋艦夕張を旗艦にした上で「将来旗艦施設を有する月型駆逐艦の編入を考慮す」としていた[7]

6月5日、秋月型6番艦「若月」が内海西部に到着、「新月」と合流した[64]。 当時の「新月」では人事異動があり、堀内康市中尉(新月水雷長)は横須賀鎮守府附[65]。修理中の朝潮型駆逐艦「満潮」水雷長の石河秀夫中尉が新たな新月水雷長となる[65]。新月機関長も本田仁一大尉から斎藤勇雄大尉(当時、夕雲型駆逐艦大波機関長)に交代した[66]

6月16日、第三戦隊司令官栗田健男中将の指揮下[67]、第三戦隊(金剛榛名)、第七戦隊(熊野鈴谷)、空母3隻(龍鳳雲鷹沖鷹[68]、軽巡五十鈴[69]、駆逐艦部隊(第27駆逐隊〈時雨有明夕暮〉、第7駆逐隊〈〉、第16駆逐隊〈雪風[70]、第17駆逐隊〈浜風谷風〉、第24駆逐隊〈涼風〉、秋月型〈新月〉、夕雲型〈清波〉)という戦力で横須賀を出港、21日トラック泊地に到着した[71][72][73]。 6月23日、第七戦隊司令官西村祥治少将は5隻(熊野、鈴谷、新月、涼風、有明)をひきいてラバウルへの輸送任務を実施した[74]。25日にニューブリテン島ラバウル到着後、新月は最前線に残り、他の艦艇はトラック泊地に戻った[75]

この頃、ムンダの占領を目指していたアメリカ軍は、ムンダ攻略に先立ってまず6月30日[76]に約6000名の陸兵と海兵隊をニュージョージア諸島レンドバ島に上陸させ[77][78]、同島を確保した[79][80]。日本軍の航空攻撃を撃退したアメリカ軍は早くも榴弾砲を設置し[81]、ムンダの飛行場に対する砲撃を開始した[82][83]。この事態を受けて第三水雷戦隊司令官(司令官秋山輝男少将・海兵41期)は「新月」に乗艦して将旗を掲げ、本艦は新しい第三水雷戦隊旗艦となった。

連合軍の新攻勢に対し、南東方面の日本海軍最高指揮官である南東方面部隊指揮官草鹿任一中将(南東方面艦隊司令長官兼第十一航空艦隊司令長官)は指揮下各部隊に、現戦線の死守と敵撃滅を電令した(機密第301735番電)[12]。南東方面部隊隷下の外南洋部隊(指揮官鮫島具重中将、第八艦隊司令長官)は、指揮下駆逐艦によるレンドバ島突入を企図した[12]。 外南洋部隊増援部隊指揮官(三水戦司令官秋山輝男少将)は直率部隊(旗艦〈新月〉、第30駆逐隊〈望月〉、駆逐艦皐月夕凪)を率いて6月30日9時30分ラバウルを出撃、第11駆逐隊司令杉野修一大佐指揮下の先行部隊(第11駆逐隊〈天霧初雪〉、第22駆逐隊〈長月水無月〉、駆逐艦三日月)はブインを出撃し、レンドバ島沖にいると思われる船団の撃滅と、レンドバ島に上陸したアメリカ海兵隊への攻撃を策した[12][84]。7月1日午前零時レンドバ島西方に到達したが、天候不良により連合軍と会敵できず帰投した[84][85]

7月2日23時~3日午前1時、秋山司令官[86]は突撃隊(旗艦〈新月〉、第11駆逐隊〈天霧、初雪〉、第22駆逐隊〈長月、皐月〉、第30駆逐隊〈望月〉)、陽動隊(軽巡〈夕張〉、駆逐艦〈夕凪、三日月〉)を率いてレンドバ島沖合に進出する[84]。これまでの第三水雷戦隊旗艦だった「夕張」は陽動隊に配され[12]モノ島近海を行動した[87]。突撃隊は2日夜にレンドバ島沖に到達して米魚雷艇(「PT-156」、「PT-157」、「PT-161」)と交戦するなどし、一部が陸上砲撃を行い引き揚げた[88]。米魚雷艇は魚雷合計6本を発射したが外れ、その後逃走している[89]

クラ湾夜戦

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7月4日、コロンバンガラ島への輸送任務のため第一回輸送隊(指揮官金岡国三第22駆逐隊司令[90]:第22駆逐隊〈長月、皐月〉、新月、夕凪)と、7月5日出撃予定の第二回輸送隊(第11駆逐隊〈天霧、初雪〉、第30駆逐隊〈望月、三日月〉)が編成され、第一回輸送隊はブインを出撃する[91]。4日深夜、クラ湾に差し掛かったところで、ニュージョージア島バイロコに対して艦砲射撃中の第36.1任務群(ヴォールデン・L・エインスワース少将)を発見した[91]。日本側は輸送任務を断念し、第36.1任務群に対して魚雷攻撃を敢行(長月6本、新月4本、夕凪4本)、敵巡洋艦1隻・駆逐艦1隻撃沈を記録した[84][92]。魚雷は駆逐艦ストロングに命中し[93]、ストロングは魚雷命中と陸上からの反撃で沈没した[94]

7月4日のコロンバンガラ島への輸送作戦は中止されたが[85]、アメリカ軍の攻勢を食い止めるため、間を置かずコロンバンガラ島への再度の輸送作戦が立てられた[12][95]。秋山少将は作戦に第二水雷戦隊や第十戦隊などからの応援艦を加え、さらに元三水戦旗艦の「夕張」も参加する予定だった[96][97]。だが「夕張」はショートランドに入泊の際、磁気機雷に触雷して損傷し、作戦から除外された[98]。 支援隊(秋月型駆逐艦新月〈第三水雷戦隊旗艦〉、白露型駆逐艦涼風〈第24駆逐隊司令中原義一郎大佐〉[99]、陽炎型駆逐艦谷風〈第17駆逐隊〉)・第一次輸送隊(第30駆逐隊司令折田常雄中佐:睦月型駆逐艦〈望月、三日月〉、陽炎型〈浜風〉)[注釈 3]・第二次輸送隊(第11駆逐隊司令杉野修一大佐:吹雪型駆逐艦〈天霧、初雪〉、睦月型〈長月、皐月〉)[100][101]という編成であった[12][84]。ショートランド泊地で出撃準備中にも連合軍機の空襲があり、秋月型駆逐艦は対空砲火で連合軍重爆数機を一挙に撃墜したという[102]

7月5日17時35分、外南洋部隊増援部隊指揮官(第三水雷戦隊司令官秋山輝男海軍少将)[103]に率いられた支援隊はブインを出撃する[104][105]。コロンバンガラ島北方で輸送隊を分離後、付近海域の警戒を開始する[84]。一方、前夜に一矢報いられた第36.1任務群はストロングの乗組員を救助してガダルカナル島沖に引き返したが[106]ウィリアム・ハルゼー大将から別の「東京急行」の出発を知らされクラ湾に急行した[106]

谷風水雷長によれば、当夜はスコールが激しかったという[107]。 23時5分、「新月」は電波探知機[107]で左舷方向に敵艦隊と思しき艦影を探知[108][109]。クラ湾を南下したあとの23時18分、支援隊(新月、谷風、涼風)はUターンして北上コースをとった[110][111]。 第36.1任務群も23時36分に任務群旗艦の軽巡ホノルルがレーダーで複数の目標を探知した[110]。エインスワース少将は、まず砲撃を行って混乱させてから雷撃を行う戦法を採った[112]。23時46-48分、支援隊は右舷方向に巡洋艦を含む米艦隊を発見する[113]。ちょうどスコールが晴れた頃だった[114]。 23時52分、秋山少将は指揮下の全駆逐艦に全軍集結を下令し、第36.1任務群に対して魚雷戦に持ち込もうとした[115][116]。しかし、攻撃は第36.1任務群に遅れをとった[114]。23時56分、第36.1任務群のホノルル、ヘレナ およびセントルイスは6300mで射撃を開始、初弾から「新月」に15センチ砲弾を命中させた[117][118]。「新月」では舵が故障し、火災が発生した[119][120]。艦橋にも命中弾があり、反撃もしなかった[117]。7月6日0時11分に「我速力26ノット」を報告[121][122]。このあと西方へ漂流して消息を絶ち、「新月」は沈没と認定された[123]。駆逐艦長金田清之中佐以下290名が戦死[124]。秋山少将以下第三水雷戦隊司令部も全滅した[12][125]。「新月」の最後の詳細は現在も不明である。アメリカ側の記録では、沈没地点はコロンバンガラの東8㎞の地点(南緯7度57分 東経157度12分 / 南緯7.950度 東経157.200度 / -7.950; 157.200座標: 南緯7度57分 東経157度12分 / 南緯7.950度 東経157.200度 / -7.950; 157.200)と記録されている[要出典]

一方、米艦隊はレーダーに映った最も大きな目標(新月)だけを目標としたため、数の利を生かせなかった[126]。第36.1任務群は「新月」に対して7分間も射撃を続行、00時3分に右反転制動を行ったとき[117]、第24駆逐隊司令中原義一郎中佐(涼風座乗)指揮下の日本艦隊(谷風、涼風)[127]から発射された酸素魚雷が米艦隊に到達、魚雷3本が命中したヘレナは轟沈した[128]。それでも米艦隊は支援隊(谷風、涼風)に何発かの命中弾を与えて損傷を負わせた[129]。また日本軍の輸送作戦はおおむね成功したものの、第二次輸送隊の「長月」はコロンバンガラ島に座礁して行動不能となり、昼間の空襲で失われた[130][131]

同年9月10日、「新月」は秋月型駆逐艦[132]、帝国駆逐艦籍より除籍された[133]。二水戦旗艦「神通」と水上機母艦「日進」も本艦と同日附で除籍されている[133]

残骸の発見

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2019年1月に調査船ペトレルがクラ湾の端の745メートルの海底に「新月」の残骸を発見し、4月に映像を公開した[134]。砲撃を受けたため全体の損傷は酷いものの、水平に近い状態で沈んでいたため前部マストと主砲の長10cm高角砲は状態良く残っている。

歴代艦長

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※『艦長たちの軍艦史』356-357頁による。

艤装員長

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  1. 金田清之 中佐:1943年2月20日[27] -

駆逐艦長

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  1. 金田清之 中佐:1943年3月31日[32] - 7月6日戦死、同日附で海軍大佐[135]

参考文献

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  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和17年1月~12月 達/達昭和17年5月』。Ref.C12070114800。 
    • 『昭和17年4月~6月内令2巻/昭和17年5月(2)』。Ref.C12070162800。 
    • 『昭和18年1月~4月 内令1巻/昭和18年3月(4)』。Ref.C12070176100。 
    • 『昭和18年9月~12月 内令/昭和18年9月(3)』。Ref.C12070188700。 
    • 『昭和17年6月1日~昭和17年6月30日 佐世保鎮守府戦時日誌(4)』。Ref.C08030336700。 
    • 『昭和18年3月1日~昭和18年3月31日 佐世保鎮守府戦時日誌(5)』。Ref.C08030343300。 
    • 『昭和18年4月1日~昭和18年4月30日 佐世保鎮守府戦時日誌(6)』。Ref.C08030344200。 
    • 『昭和18年4月1日~昭和18年4月30日 佐伯防備隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030404800。 
    • 『昭和18年4月1日~昭和18年11月30日 第11水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030126000。 
      第十一水雷戦隊司令部『自昭和十八年四月一日至昭和十八年四月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和十八年五月一日至昭和十八年五月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』
    • 『昭和18年4月1日~昭和18年11月30日 第11水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030126100。 
    • 『昭和17年12月1日~昭和18年5月31日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(8)』。Ref.C08030367800。 
    • 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。Ref.C08030100700。 
    • 『昭和17年9月11日~昭和18年11月30日 第3戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030041900。 
    • 『昭和17年4月1日~昭和18年8月31日 第7戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。Ref.C08030047700。 
    • 『昭和17年4月1日~昭和18年8月31日 第7戦隊戦時日誌戦闘詳報(7)』。Ref.C08030047800。 
    • 『昭和18年5月1日~昭和18年7月19日 第4水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030116900。 
    • 『昭和18年5月1日~昭和18年7月19日 第4水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030117000。 
    • 『昭和18年5月1日~昭和18年7月19日 第4水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030117100。 
    • 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(8)』。Ref.C08030023200。 
    • 『駆逐艦 谷風(クラ湾沖海戦))蓮.海防艦第76号戦時日誌.戦闘詳報(1)』。Ref.C08030753700。 
    • 第三水雷戦隊司令部『自昭和十八年七月一日至昭和十八年七月三十一日 第三水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年7月1日~昭和18年7月31日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030105800
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  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
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  • 高松宮宣仁親王嶋中鵬二発行者『高松宮日記 第六巻 昭和十八年 二月~九月』中央公論社、1997年。ISBN 4-12-403396-6 
  • 外山三郎『図説 太平洋海戦史 第3巻 写真と図説で見る日米戦争光人社、1995年9月。ISBN 4-7698-0711-2 
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』(光人社、2005年) ISBN 4-7698-1246-9
  • 豊田穣『雪風ハ沈マズ 強運駆逐艦栄光の生涯』光人社NF文庫新装版、2004年。ISBN 978-4-7698-2027-7 
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    • (148-161頁)当時「夕張」航海長・海軍少佐津田武彦『袖珍軽巡「夕張」ソロモンへの片道切符 船団を護衛して魔の海域に作戦する小型軽巡を襲った痛恨の一撃
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    • (304-318頁)戦史研究家柏木浩『日本の軽巡洋艦かく戦えり』
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 北東方面海軍作戦』 第29巻、朝雲新聞社、1969年8月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<4> ―第三段作戦前期―』 第39巻、朝雲新聞社、1970年10月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 南太平洋陸軍作戦<3> ムンダ・サラモア』 第40巻、朝雲新聞社、1970年12月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 南東方面海軍作戦<3> ガ島撤収後』 第96巻、朝雲新聞社、1976年8月。 
  • 福井静夫 著、阿部安雄・戸高一成/編集委員 編『福井静夫著作集 軍艦七十五年回想記 日本駆逐艦物語』 第5巻、光人社、1993年1月。ISBN 4-7698-0611-6 
  • E・B・ポッター/秋山信雄(訳)『BULL HALSEY/キル・ジャップス! ブル・ハルゼー提督の太平洋海戦史』光人社、1991年、ISBN 4-7698-0576-4
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦11 駆逐艦II』光人社、1990年、ISBN 4-7698-0461-X
  • 雑誌『丸』編集部 編『ハンディ判日本海軍艦艇写真集18 駆逐艦秋月型・松型・橘型・睦月型・神風型・峯風型』光人社、1997年11月。ISBN 4-7698-0819-4 
  • 山本平弥ほか『秋月型駆逐艦<付・夕雲型・島風・丁型> 戦時に竣工した最新鋭駆逐艦の実力と全貌』潮書房光人社、2015年3月。ISBN 978-4-7698-1584-6 
    • 戦史研究家落合康夫『艦名別秋月型駆逐艦十二隻の生涯』
  • 歴史群像編集部編『水雷戦隊II 陽炎型駆逐艦 究極の艦隊型駆逐艦が辿った栄光と悲劇の航跡』 第19巻、学習研究社〈歴史群像 太平洋戦史シリーズ〉、1998年8月。ISBN 4-05-601918-5 
    • (85-94頁)向井学「艦隊型駆逐艦全131隻行動データ」
    • (143-158頁)戦闘ドキュメント 日本駆逐艦の奮戦 PATR1〔水雷戦隊かく戦えり〕/PART2〔ルンガ沖夜戦〕
  • 歴史群像編集部編『秋月型駆逐艦 対空戦に威力を発揮した空母直衛艦の勇姿』 第23巻、学習研究社〈歴史群像 太平洋戦史シリーズ〉、1999年10月。ISBN 4-05-602063-9 
  • 歴史群像編集部編『睦月型駆逐艦 真実の艦艇史4 ― 謎多き艦隊型駆逐艦の実相』 第64巻、学習研究社〈歴史群像 太平洋戦史シリーズ〉、2008年5月。ISBN 978-4-05-605091-2 

脚注

[編集]

注釈

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  1. ^ ○第三艦隊(三一-一〇一八)第三戦隊(「金剛」欠)、第七、第八、第十戦隊(「阿賀野」「風雲」「雪風」「浜風」「谷風」「嵐」)、以上五-三〇、第一航空戦隊、「最上」「大淀」、第二十駆逐隊(「白露」欠)、第六十一駆逐隊(「秋月」欠)、「新月」、以上五-三一、「横」発。《第三艦隊、機動作戦ヲ中止、内海西部ニテ訓練》
  2. ^ 「(昭和18年)六月三〇日(水)曇 戦況。昨夜「コロンバンガラ」に敵艦砲撃あり。今朝「レンドバ」島に敵大規模の上陸を企図。(以下略)」
  3. ^ 駆逐艦夕風を編成に加えた資料があるが、同艦は内地待機。駆逐艦夕凪の誤記。夕凪は編成表に加えられているが、実際は出撃せず。
  4. ^ 「クラ」湾夜戦、「新月」電探ニテ先ヅ敵発見、併シナガラ敵ノ機先砲撃ニテ損傷、消息ヲ絶ツ。
  5. ^ ○第二十四駆逐隊(六-〇二一五)〇〇〇〇「新月」26ktノ信号ヲ受信シ、次発装填ノ為(故障ノ為、人力)西航、次発装填完了後見失フ。戦場ニ向ヒ、〇二〇〇迄調査セルモ「新月」ニ関スル消息ナシ。夜戦及捜索ヲ打切リRXE皈投ス、21kt。「谷風」相当ノ被害アリ。
  6. ^ ○横須賀第七特別陸戦隊《コロンバンガラ》(〇六-〇七二二)今朝来襲敵機二〇ハ「長月」ヲ爆撃中。「長月」反撃シツツアリ。

出典

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  1. ^ #S1804十一水戦日誌(1)p.6『新月|(士官)九|特務士官(三)|(候補生)/|(准士官)三|(下士官)六九|(兵)二一〇|(其ノ他)/|(計)二九四』
  2. ^ 秋月型駆逐艦では水中聴音機は後日装備とされたらしい。装備時期は不明。『歴史群像 太平洋戦史シリーズ23 秋月型駆逐艦』p39、『写真 日本の軍艦 第11巻』p158による。
  3. ^ a b #達昭和17年5月(1)pp.39-40『達第百五十七號 昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦二隻、潜水艦三隻、驅潜艇五隻及掃海特務艇一隻ヲ左ノ通命名ス|昭和十七年五月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 一等驅逐艦 新月(ニイヅキ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 一等驅逐艦 島風(シマカゼ)|(以下略)』
  4. ^ a b c d 山本ほか、秋月型 2015, p. 79a新月(にいづき)
  5. ^ a b c d e 日本駆逐艦物語290頁「日本海軍駆逐艦艦名一覧/新月」
  6. ^ 片桐, 354ページ
  7. ^ a b 戦史叢書39巻、60-61頁「第八艦隊解消論」
  8. ^ #S1804十一水戦日誌(2) p.7『二日〇八五五外南洋部隊指揮官(宛略)GF電令作第五八五號 六月一日附新月ヲ原隊(八艦隊)ニ復帰ス』
  9. ^ #谷風蓮76号日誌(1)p.5『三.経過 駆逐艦谷風ハ外南洋部隊増援部隊(指揮官3sd司令官)ニ属シ「コロンバンガラ」方面緊急輸送作戰支援隊トシ警戒支援ニ従事中』
  10. ^ 戦史叢書39巻377頁
  11. ^ 歴群19、水雷戦隊II 1998, p. 148a〔クラ湾夜戦〕
  12. ^ a b c d e f g h i 戦史叢書40巻、269-271頁「海上部隊の作戦」
  13. ^ 奥宮、ラバウル 2001, p. 517d付録 昭和18年7月5日
  14. ^ 故海軍中将秋山輝男外二名位階追陞の件 p.3」 アジア歴史資料センター Ref.A12090368600 
  15. ^ a b #ハンディ判艦艇写真集18p.16『秋月型建造工程一覧表』
  16. ^ 日本駆逐艦物語207-208頁「フル回転する各造船所」
  17. ^ 日本駆逐艦物語224-227頁「最前線にたつ月型一二隻」
  18. ^ 日本駆逐艦物語205頁「第6表 秋月型(乙型)一覧表」
  19. ^ #達昭和17年5月(1)pp.39-40『達第百五十六號 横須賀海軍工廠ニ於テ建造中ノ巡洋艦一隻ニ左ノ通命名セラル|昭和十七年五月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|二等巡洋艦 能代(ノシロ)』
  20. ^ #内令昭和17年5月(2)pp.28-29『内令第八百五十四號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十七年五月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|駆逐艦、一等秋月型ノ項中「初月」ノ下ニ「、新月」ヲ加ヘ、同項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |  |島風|(以下略)』
  21. ^ #S1706佐鎮日誌(4)p.52『二十九|雨 二四.四 二〇-五〇|(略)|一〇八號艦長崎ニテ進水』
  22. ^ 昭和13年12月1日(発令12月1日付)海軍辞令公報(部内限)第267号 p.7」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074700 
  23. ^ 昭和14年4月1日(発令4月1日付)海軍辞令公報(部内限)第321号 p.4」 アジア歴史資料センター Ref.C13072075600 
  24. ^ 昭和16年9月1日(発令9月1日)海軍辞令公報(部内限)第701号 pp.7-8」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081900 
  25. ^ 昭和17年12月21日(発令12月21日付)海軍辞令公報(部内限)第1017号 p.34」 アジア歴史資料センター Ref.C13072088600 
  26. ^ 歴群23、秋月型 1999, p. 82艤装員長着任表
  27. ^ a b 昭和18年2月23日(発令2月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1057号 p.2」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089800 
  28. ^ 昭和18年3月4日 海軍公報(部内限)第4331号 p.47」 アジア歴史資料センター Ref.C12070429700 『○事務開始 新月艤装員事務所ハ二月二十三日長崎海軍監督官事務所内ニ設置シ事務ヲ開始セリ/伊號第百八十一潜水艦艤装員事務所ハ二月二十三日呉海軍工廠内ニ於テ事務ヲ開始セリ/呂號第三十六潜水艦艤装員事務所ハ二月二十四日三菱神戸造船所内ニ於テ事務ヲ開始セリ/伊號第百七十九潜水艦艤装員事務所ハ二月二十五日川崎重工業株式會社艦船工場内ニ於テ事務ヲ開始セリ』
  29. ^ #ハンディ判艦艇写真集18pp.32-33(駆逐艦『秋月型』行動年表)◇新月◇
  30. ^ 昭和18年4月8日 海軍公報(部内限)第4360号 p.11」 アジア歴史資料センター Ref.C12070430300 『○事務所撤去 驅逐艦新月艤装員事務所ヲ三月三十一日撤去セリ 追面郵便物發送先ハ 呉郵便局氣付 驅逐艦新月』
  31. ^ 歴群23、秋月型 1999, p. 175表1 防空駆逐隊の司令と艦長
  32. ^ a b 昭和18年4月1日(発令3月31日付)海軍辞令公報(部内限)第1086号 p.46」 アジア歴史資料センター Ref.C13072090400 
  33. ^ #内令昭和18年3月(4)p.6『内令第五百三十八號 驅逐艦 新月 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル(以下略)』
  34. ^ S1803佐鎮日誌(4)p.8『三十一日〇〇〇七軍令部總長(宛略)機密第三一〇〇〇七番電 昭和十七年度帝国海軍戰事編制中大海幕機密第一四九號ノ三第六項(三月三十一日附左訂正)ノ通改訂セラル 位置.新月ヲ第一艦隊ニ附属シ第三十驅逐艦(三日月 望月 卯月)ヲ第三水雷戰隊ニ編入ス(以下略)』
  35. ^ a b 昭和18年4月1日(発令4月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1085号 p.11」 アジア歴史資料センター Ref.C13072090400 
  36. ^ #S1804十一水戦日誌(1)p.3『(イ)一般情勢 第十一水雷戰隊ハ四月一日編制ト同時ニ主力部隊ニ編入内海西部ニ在リテ全作戰支援護衛任務新造驅逐艦ノ急速練成ニ努メタリ』
  37. ^ #S1804十一水戦日誌(1)p.7『二日〇九二〇新月駆逐艦長(宛略)〇九〇〇呉ニ向ケ佐世保發』-『四日〇七三五11sd司令官(宛略)新月桂島着』
  38. ^ #S1804十一水戦日誌(1)p.18『(イ)第十一水雷戰隊ハ四月一日編成セラレ龍田新月ハ内海西部ニ在リテ訓練作業ニ従事新造驅逐艦ノ急速練成ニ努メタリ』
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  40. ^ #S1804十一水戦日誌(1)p.15『二十八日〇九〇〇日向(宛略)日向浜風〇九〇〇佐世保ニ向ケ呉発新月途中合同ノ豫定』
  41. ^ #S1804佐鎮日誌(6)p.10『二十八日〇九〇〇日向艦長(宛略)日向濱風〇九〇〇佐世保ニ向ケ呉發新月途中合同ノ豫定』
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  43. ^ #S1804十一水戦日誌(1)p.15『『二十九日一六〇〇日向(宛略)日向新月浜風佐世保着』
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  48. ^ #S1804十一水戦日誌(1)p.44『四.参考(一)麾下艦船部隊ノ行動』
  49. ^ 戦史叢書39巻243-244頁
  50. ^ #S1804十一水戦日誌(1)p.26『十二日1F司令長官(宛略)主力部隊電令作第一號 一.本日午前敵部隊熱田島ニ上陸セリ/二.2S(山城缺)11sd(龍田電雷島風缺)及最上ハ十二節即時待機トナセ』
  51. ^ #S1804十一水戦日誌(1)p.45『(一)新月 十七日機動部隊ニ編入十八日出撃太平洋方面作戰ニ参加』
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  56. ^ #S1704七戦隊日誌(6)pp.40-41『(二)「アリューシャン」方面ニ対シ熾烈ナル航空攻撃ヲ加ヘツツアリシ敵ハ五月十二日遂ニ大部隊ヲ以テ「アッツ」島ニ来襲セリ 我方ハ同島守備隊ヲ以テ同島ヲ死守スルト共ニ聯合艦隊ノ大部ヲ東京湾ニ集結敵艦隊ノ来寇ニ備ヘ極力救援ノ策ヲ講ゼントセシモ敵ノ攻撃急ニシテ遂ニ五月三十日同島守備隊玉砕スルニ至リ「アッツ」島放棄ノ已ムナキニ至レリ』
  57. ^ 戦史叢書29巻550-552頁『聯合艦隊司令部等の作戰指導と機動部隊等の状況』
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  73. ^ #S1704七戦隊日誌(7)p.5『(五)六月十五日前進部隊ニ編入セラレ六月十六日第三戰隊司令官指揮ノ下ニ第三戰隊第七戰隊(最上欠)第二航空戰隊(龍鳳)五十鈴雲鷹沖鷹第七駆逐隊第十六駆逐隊(雪風)第二十七駆逐隊(白露欠)浜風谷風涼風新月清波ト横須賀發二十一日「トラック」着』
  74. ^ #S1704七戦隊日誌(7)p.5『(六)六月二十三日輸送任務ノ為第七戰隊(最上欠)新月涼風有明ヲ率ヰ「トラック」発二十五日「ラボール」着同日第七戰隊(最上欠)有明涼風ヲ率ヰ「ラボール」発二十七日「トラック」到着尓後「トラック」ニ在リテ警戒待機竝ニ諸訓練ニ従事ス』
  75. ^ #S1805四水戦日誌(2)p.10『…有明ハ(司令官)7S指揮ノ下ニ7S(最上欠)新月ト共ニAdB電令作第二二五號ニ依ル「ラボール」」行輸送任務ニ従事二十三日「トラツク」発二十五日「ラボール」着揚陸後同地發二十七日「トラツク」皈着』
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関連項目

[編集]