夕張鹿鳴館
夕張鹿鳴館 | |
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情報 | |
旧名称 | 北炭鹿ノ谷倶楽部 |
用途 | 宿泊施設・レストラン |
旧用途 | 企業迎賓館 |
建築主 | 北海道炭礦汽船 |
管理運営 | 元大夕張鹿鳴館 |
敷地面積 | 85,330 m² |
建築面積 | 1,609 m² |
階数 | 地上1階 |
竣工 | 1913年(大正2年) |
所在地 |
〒068-0413 北海道夕張市鹿の谷2丁目4 |
座標 | 北緯43度2分13.6秒 東経141度57分36.6秒 / 北緯43.037111度 東経141.960167度座標: 北緯43度2分13.6秒 東経141度57分36.6秒 / 北緯43.037111度 東経141.960167度 |
文化財 | 登録有形文化財 |
夕張鹿鳴館(ゆうばりろくめいかん)は、北海道夕張市にある歴史的建造物[1][2]。もとは旧北海道炭礦汽船の迎賓館「鹿ノ谷倶楽部」[3][4]。
概要
[編集]1913年(大正2年)建設。外観は和風で洋間もある和洋折衷の建物で[5]、室内装飾の美術・工芸や立派な庭園を持つ[6]豪華な作りが特徴[7]。炭鉱全盛期の栄華を偲ばせるものとなっている[8]。
そのため、近代和風建築としての高い価値を持つと専門家から評価され[9]、2011年(平成23年)には国の登録有形文化財に登録されることになった[1]ほか、「空知の炭鉱関連施設と生活文化」として北海道遺産に選定され、「夕張炭田関連遺産」として近代化産業遺産に認定されている。
北海道炭礦汽船の迎賓施設として使用され[10]、会社幹部の会合、政財界人や取引先などの接待のほか、1954年(昭和29年)に昭和天皇、香淳皇后が来道、夕張市に行幸啓した際には宿泊所となった[11]。
炭鉱が好景気に沸いていた時期にはごく限られた上流階級の施設として、閉山に伴い夕張市に移管された直後には老朽化等の事情により公開もままならず、人目に触れる機会は少なかったことから、長らく幻の施設であったが、1994年から一般公開が始まり、夕張市内有数の歴史的建造物として知られることとなった。
「旧北炭鹿ノ谷倶楽部・夕張鹿鳴館」として観光客などにも開放されていたが[3]、2006年(平成18年)6月20日に夕張市長が「財政再建団体」申請を行うことを表明して夕張市が事実上倒産した[12]ことに伴い、当時当館を運営していた夕張市の第3セクター「石炭の歴史村観光」も同年11月29日に札幌地方裁判所に自己破産を申請して破綻した[13]。
夕張市は負債削減のために2007年(平成19年)に夕張リゾートに管理を委託し[14]、同年4月27日に再開した[15]。
しかし、2008年(平成20年)6月に土台の腐蝕による倒潰の危険が指摘され[9]、修繕費は億単位になると見積もられたため[9][16]、同年10月に「夕張リゾート」が管理権を返上し[17][18][19]、同月中旬に閉鎖された[4]。
夕張市が「財政再建団体」となり、保有する施設の修繕費の支出は困難であったことから、同年9月10日に「鹿ノ谷倶楽部のあり方を検討する委員会」の第1回を開催し[18]、その存続の方法を検討することになった[4]。
その結果、同年12月に「民間に無償で貸与か譲渡して保存・活用を委ねるべきである」との報告書が出された[20]。
この報告書を受けて、2009年(平成21年)4月1日から貸与・譲渡を希望する民間事業者の募集が行われ、同月末30日に小樽市の廃棄物処理業者「テクノ」に無償譲渡すると発表された[2]。
閉鎖後は廃墟化が進行し、保存状態が悪化していたが、譲渡された「テクノ」は、同年6月から補修工事を開始し[21]、2011年(平成22年)5月27日、館内に宿泊施設「オーベルジュ夕山荘」・レストラン「ミレディ」などを設けた新施設として約3億円をかけて再開業した[22][23]。冬季(12月~3月)は休館した。
その後、「テクノ」が業績不振に陥り、同社は夕張市役所まちづくり企画室と相談し、一般財団法人北海道・夕張倶楽部を設立のうえ、2013年11月28日付けで鹿鳴館の所有権を同法人に移転した。 この際、夕張市役所まちづくり企画室は市とテクノが交わした無償譲渡契約書で定める譲渡禁止特約を変更する旨の契約書を作成したと噂されている。
鹿鳴館は2015年度の営業を最後に休業し2016年4月に営業再開断念を表明、不動産登記事項証明書には、2017年1月16日には東浜商事(東京都千代田)に仮差押されたことが記載されている。
夕張市は2013年時点で譲渡禁止特約を自ら解除し所有権移転させた事実を伏せてプレスリリースを行い、「観光施設としての活用」などの条件付きで再譲渡を認め新継承先を探す方針とし[23]、2017年8月に「元大夕張鹿鳴館」が買収[24][25]。 なお、東浜商事の仮差押は同年7月14日付けで取下となっている。
買収後は2018年10月3日の営業再開を予定していたが[26]、北海道胆振東部地震や台風の影響で資材の到着が遅れるなどしたため一般見学再開のみにとどまり[27]、2019年時点では書道作品の展示館とする計画がありつつ3月に関係者のみによる宴会が行われたのみで[28]、一般営業を停止し東京の不動産会社の管理下にあり前年6月から10月に行われた改修工事について元請け企業から孫請け企業への工事費1800万円未払いの問題が生じている[29]。また2020年12月時点では北海道新聞夕張支局長(当時)による憶測に基づいた不正確な報道「元大側と雇用関係にあった管理担当の男性が夕張市外に転居し管理者不在の状態となっている[30]」がなされている。
歴史
[編集]- 1913年(大正2年) - 北海道炭礦汽船の迎賓館として建設[5]。
- 1954年(昭和29年) - 昭和天皇・香淳皇后宿泊[23]
- 1958年(昭和33年) - 皇太子明仁親王(後の明仁上皇)宿泊
- 1982年(昭和57年) - 夕張炭鉱閉山に伴い閉鎖
- 1984年(昭和59年) - 北海道炭礦汽船が夕張市に売却
- 1994年(平成6年) - 旧北炭鹿ノ谷倶楽部記念館「夕張鹿鳴館」として一般公開
- 1999年(平成11年) - NHK連続テレビ小説「すずらん」ロケ地となる
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 2011年(平成22年)
- 5月27日 - 館内に宿泊施設「オーベルジュ夕山荘」・レストラン「ミレディ」などを設けた新施設として再開業[22]。
- 10月 - 国の登録有形文化財に登録。
- 2013年(平成25年)
- 11月 - テクノから一般財団法人北海道・夕張倶楽部に転売。
- 2016年(平成28年)
- 4月 - テクノが経営不振を理由に営業継続を断念[23]。
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年)
- 10月3日-5日 - リニューアルに合わせ改装に関し提携した香港の芸術家・馬興文(サイモン・マ)の作品展「2018馬跡北海道美術展」を開催[31]
アクセス
[編集]- 道東自動車道夕張インターチェンジより約25分。
脚注・参考文献
[編集]- ^ a b “夕張鹿鳴館 有形文化財登録へ 観光活性化に期待 夕張”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2011年7月16日)
- ^ a b c “旧北炭・鹿ノ谷倶楽部 小樽の企業に譲渡 夕張市”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2009年5月1日)
- ^ a b “夕張の旧北炭鹿ノ谷倶楽部・鹿鳴館 GWでにぎわい戻る 本州各地から観光客も”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1996年5月3日)
- ^ a b c d “市民の手で除排雪を 夕張鹿鳴館存続へ検討委”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2008年10月25日)
- ^ a b “おすすめ北海道 旬の旅 鑑賞 ゆうばり国際ファンタスティック映画祭(夕張市) 最多106作 復興応援企画も 23~27日”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2012年2月1日)
- ^ “週遊スクエア 夕張鹿鳴館 垣間見る北炭盛衰の象徴 見事な庭園 美術品…”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1999年6月10日)
- ^ “旧鹿ノ谷倶楽部保存し活用を”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1992年3月23日)
- ^ “そらねっと24 夕張鹿鳴館 復活半年 新名所へ着々 スイーツ開発次々と 中旬にも高級ホテル開業”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2010年4月6日)
- ^ a b c d “夕張市の「重文級」建築 鹿ノ谷倶楽部 存廃の危機 修繕に億単位、予算なし”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2008年6月3日)
- ^ “宿泊研修 夕張へGO! 札幌などから もう8高校 豊富な体験学習が好評”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2005年4月26日)
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、110頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ a b “再建団体申請 夕張市長、きょう議会で表明 動き急、戸惑いに拍車 市民 「暮らし想像できぬ」”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2006年6月20日)
- ^ a b “夕張「歴史村」が自己破産 負債74億円、全社員解雇”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2006年11月29日)
- ^ 北海道新聞取材班 (2009). 追跡・「夕張」問題 財政破綻と再帰への苦闘. 講談社文庫. p. 330-331. ISBN 978-4-06-276339-4
- ^ a b 酒井麻里子、杉原洋嗣 (2007年4月28日). “再建始動 夕張の春(5)歓迎と不安 観光施設再開”. 読売新聞 (読売新聞社)
- ^ 上掲書406ページ
- ^ 上掲書407-408ページ
- ^ a b c d “鹿鳴館の管理 来月返上 夕張リゾート 本格営業の施設で初”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2008年9月11日)
- ^ a b “加森観光 夕張3施設の管理返上 老朽化で維持費重荷”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2008年10月4日)
- ^ “夕張市の鹿ノ谷倶楽部 保存と活用 民間で 貸与、譲渡先募集へ”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2008年12月27日)
- ^ a b “「鹿ノ谷倶楽部」再生のつち音 テクノ、補修工事開始 夕張”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2009年6月9日)
- ^ a b “温泉付き客室が自慢 夕張鹿鳴館 ホテル27日開業”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2010年5月22日)
- ^ a b c d “鹿鳴館の再開断念 夕張 所有会社 譲渡先探す”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2016年4月28日)
- ^ a b “夕張鹿鳴館 地元リゾートが購入へ 10月にも一部再開/北海道”. 毎日新聞. (2017年8月10日)
- ^ a b c “「夕張鹿鳴館」20日から公開 中庭など一部”. 日本経済新聞. (2017年10月20日)
- ^ “夕張鹿鳴館 10月再開 全面営業は3年ぶり”. 北海道新聞朝刊. (2018年8月12日)
- ^ “夕張鹿鳴館が3年ぶりに公開再開へ”. テレビ北海道 (ゆうがたサテライト道新ニュース). (2018年10月3日). オリジナルの2018年12月17日時点におけるアーカイブ。
- ^ “中国系資本が所有する「夕張鹿鳴館」、存続の危機”. 北海道リアルエコノミー. (2019年9月27日)
- ^ “夕張マウントレースイ鹿鳴館で工事費未払いトラブル 元大グループは「清算済み」を主張”. 財界さっぽろ. (2019年8月号)
- ^ “夕張鹿鳴館 維持に不安 中国資本が所有、管理者は転居”. 北海道新聞. (2020年12月20日)
- ^ “元大グループ、夕張で芸術イベント 中国に魅力発信”. 日本経済新聞. (2018年10月3日)
外部リンク
[編集]- 夕張鹿鳴館(旧北炭鹿ノ谷倶楽部) - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 夕張鹿鳴館(旧北炭鹿ノ谷倶楽部) - 夕張市