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外山千也

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とやま せんや

外山 千也
生誕 (1954-01-30) 1954年1月30日(70歳)[1]
日本の旗 日本新潟県[1]
国籍 日本の旗 日本
出身校 自治医科大学[1]
職業 医師
著名な実績 防衛省大臣官房衛生監
厚生労働省健康局
地域医療振興協会理事長補佐・シニアアドバイザー・常務理事・古里診療所管理者兼所長
がん研究振興財団専務理事
市川市リハビリテーション病院長
南魚沼市病院事業管理者補佐
南魚沼市副市長
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外山 千也
とやま せんや
現職 南魚沼市副市長

在任期間 2010年7月30日[2] - 2012年9月10日
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外山 千也(とやま せんや、1954年昭和29年〉1月30日[1] - )は、日本の医師厚生労働技官地方公務員南魚沼市副市長

来歴

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新潟県出身[1]1979年(昭和54年)3月、自治医科大学医学部医学科を卒業[1]。同年4月、新潟県衛生部医務課非常勤医師として採用され[3]、同年5月から新潟大学医学部附属病院で内科研修医として勤務[3]。その後、新潟県立新発田病院内科研修医、新潟県立小出病院内科医、新潟県環境保健部総務課企画調整係長、新潟県環境保健部総務課副参事、新潟県東京事務所副参事、新潟県柏崎保健所長などを経て[1][3]1992年平成4年)1月、厚生省に入省[1][3]

入省後、厚生省大臣官房厚生科学課課長補佐、健康政策局計画課課長補佐、保険局医療課医療指導監査室長、医政局国立病院課長などを歴任[1][3]。途中、内閣府防衛省などに出向し、島根県健康福祉部長、防衛庁書記官、防衛庁運用局衛生官、内閣府参事官、国立がんセンター運営局長、防衛省大臣官房衛生監などを務めた[1][3]

2010年(平成22年)7月30日厚生労働省健康局長に就任[2]2012年(平成24年)9月、辞職[4]

退官後は公益社団法人地域医療振興協会理事長補佐、同シニアアドバイザー、同常務理事、同古里診療所管理者兼所長、東京ベイ・浦安市川医療センター参与(臨床検査室専従)、市川市リハビリテーション病院病院長、がん研究振興財団専務理事、南魚沼市病院事業管理者補佐などを歴任[3][5]

2020年令和2年)12月14日、南魚沼市副市長に就任[6]

古里診療所管理者兼所長

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奥多摩町に所在する古里診療所は、管理者兼同診療所の医師であった皆川俊一の病気によって、2018年(平成30年)11月27日から休診を余儀なくされていた[7]。そんな中、奥多摩町は主要医療機関の早期再開を求める住民の声を受け、2019年(平成31年)3月に条例の一部を改正し、元来の公設民営に代わって指定管理者制度を導入[7]。管理者公募を経て地域医療振興協会が指定管理者に選定された[7]

2019年(令和元年)9月1日、外山が古里診療所管理者兼所長に就任[7]。同日行われた開設式には河村文夫町長、奥多摩町議会の師岡公伸議長、双葉会診療所の片倉和彦所長が参加した他、就任にあたって外山が「職員一同、チームワークで安心感のある明るい診療所にしていきたい」と抱負を語った[7]。また、外山の就任に伴い、主な診療科が整形外科から総合内科に変更された[7]

年譜

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  • 1979年(昭和54年)
    • 3月 - 自治医科大学医学部医学科卒業[1]
    • 4月 - 新潟県衛生部医務課非常勤医師[1][3]
    • 5月 - 新潟大学附属病院内科研修医
  • 1980年(昭和55年)5月 - 新潟県立新発田病院内科研修医[1][3]
  • 1981年(昭和56年)5月 - 新潟県小出病院[1][3]
  • 1982年(昭和57年)5月 - 新潟県大島保健所[1]
  • 1984年(昭和59年)4月 - 新潟県与板保健所[1]
  • 1987年(昭和62年)4月 - 新潟県環境保健部総務課企画調整係長[3]
  • 1988年(昭和63年)4月 - 新潟県環境保健部総務課副参事[1][3]
  • 1990年(平成2年)4月 - 新潟県東京事務所副参事[1][3]
  • 1991年(平成3年)4月 - 新潟県柏崎保健所長[1][3]
  • 1992年(平成4年)
    • 1月 - 厚生省入省[1]
    • 1月 - 厚生省大臣官房厚生科学課課長補佐[1][3]
    • 4月 - 厚生省健康政策局計画課課長補佐[1][3]
  • 1995年(平成7年)4月 - 島根県健康福祉部次長[1][3]
  • 1996年(平成8年)4月 - 島根県健康福祉部長[1][3]
  • 1999年(平成11年)8月 - 厚生省保険局医療課医療指導監査室長[1][3]
  • 2001年(平成13年)
    • 1月 - 防衛庁書記官[1][3]
    • 1月 - 防衛庁運用局衛生官[1][3]
  • 2003年(平成15年)
    • 10月 - 厚生労働省大臣官房付[1]
    • 10月 -(併)内閣府技官(参事官(重点分野担当)(政策統括官(科学技術政策担当)付)[1][3]
  • 2005年(平成17年)4月 - 医政局国立病院課長[1][3]
  • 2006年(平成18年)9月 - 国立がんセンター運営局長[1][3]
  • 2007年(平成19年)8月 - 防衛省大臣官房衛生監[1][3]
  • 2010年(平成22年)7月 - 厚生労働省健康局長[2]
  • 2012年(平成24年)11月 - 地域医療振興協会理事長補佐[3]
  • 2013年(平成25年)4月 - 地域医療振興協会専務執行役員(理事長補佐)[3]
  • 2014年(平成26年)7月 - がん研究振興財団専務理事[3]
  • 2016年(平成28年)
    • 6月 - 東京ベイ・浦安市川医療センター参与(臨床検査室専従)[5]
    • 7月 - 地域医療振興協会シニアアドバイザー[3]
  • 2017年(平成29年)4月 - 市川市リハビリテーション病院長[3]
  • 2018年(平成30年)6月 - 地域医療振興協会常務理事[3]
  • 2019年(令和元年)9月 - 地域医療振興協会古里診療所管理者兼所長[3]
  • 2020年(令和2年)
    • 10月 - 南魚沼市病院事業管理者補佐[3]
    • 12月 - 南魚沼市副市長[6]

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 厚生労働省辞令”. じほう. 2021年5月31日閲覧。
  2. ^ a b c “厚労次官に阿曽沼氏 正式発表”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2010年7月23日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2300L_T20C10A7NN0000/ 2021年5月31日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag 副市長”. 南魚沼市. 2021年6月1日閲覧。
  4. ^ “厚労省幹部 大幅異動 医薬食品局長に榮畑年金局長 保険局長に木倉医薬食品局長”. ミクスOnline (ミクス). (2012年9月5日). https://www.mixonline.jp/tabid55.html?artid=43119 2021年6月1日閲覧。 
  5. ^ a b 東京ベイ通信 11月号” (PDF). 東京ベイ・浦安市川医療センター (2016年10月24日). 2021年6月1日閲覧。
  6. ^ a b 市報 みなみ魚沼 No.195” (PDF). 南魚沼市 (2021年1月15日). 2021年6月1日閲覧。
  7. ^ a b c d e f “古里診療所、新体制で再開 休診から10カ月ぶり 奥多摩町 「安心感ある 明るい診療所に」”. Weekly News 西の風 (西の風新聞社). (2019年10月3日). https://nishi-kaze.com/2019/10/03/2306/ 2021年6月1日閲覧。 
官職
先代
上田博三
日本の旗 厚生労働省健康局長
2010年 - 2012年
次代
矢島鉄也