多治比人足
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多治比 人足(たじひ の ひとたり、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。官位は正五位下・主馬頭。
経歴
[編集]光仁朝の宝亀9年(778年)従五位下に叙爵し、大判事に任官する。
天応元年(781年)4月に桓武天皇の即位に伴って従五位上に叙せられ、5月に山背守に遷る。延暦3年(784年)にも正五位下に昇進するなど順調に昇進し、延暦4年(785年)主馬頭として京官に復している。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 宝亀9年(778年) 正月16日:従五位下。8月20日:大判事
- 天応元年(781年) 4月15日:従五位上。5月25日:山背守
- 延暦3年(784年) 12月2日:正五位下
- 延暦4年(785年) 正月15日:主馬頭
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。
- 父:不詳
- 母:不詳
- 妻:不詳
- 女子:多治比仲子(藤原貞嗣室)