多治比豊浜
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時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位下・三河守 |
主君 | 光仁天皇→桓武天皇 |
氏族 | 多治比真人 |
多治比 豊浜(たじひ の とよはま)は、奈良時代の貴族。姓は真人。官位は従五位下・三河守。
経歴
[編集]神護景雲4年(770年)従五位下に叙爵し、宝亀2年(771年)大学助次いで治部少輔に任ぜられる。宝亀3年(772年)信濃守に転じると、宝亀5年(774年)豊前守、宝亀6年(775年)大宰少弐と光仁朝中期は地方官を歴任した。
天応元年(781年)桓武天皇の即位後まもなく左少弁に任ぜられ京官に復すが、早くも翌天応2年(782年)三河守として再び地方官に遷っている。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 神護景雲4年(770年) 6月25日:従五位下
- 宝亀2年(771年) 閏3月1日:大学助。11月19日:治部少輔
- 宝亀3年(772年) 9月23日:信濃守
- 宝亀5年(774年) 3月5日:豊前守
- 宝亀6年(775年) 7月11日:大宰少弐
- 天応元年(781年) 5月25日:左少弁
- 天応2年(782年) 5月17日:三河守
参考文献
[編集]- 宇治谷孟『続日本紀』 下、講談社〈講談社学術文庫〉、1995年11月6日。ISBN 978-4061590328。