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多田房之輔

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多田房之輔

多田 房之輔(ただ ふさのすけ、文久2年6月9日[1]1862年7月5日) - 1940年昭和15年)11月18日[2])は、日本教育者。池袋幼稚園主。号は総南

経歴

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安房国望陀郡神納村(現在の千葉県袖ケ浦市)出身[1]1881年明治14年)、千葉県師範学校を卒業[1]千葉県栃木県東京府の小学校長を歴任し、さらに千葉県師範学校・栃木県師範学校を務めた[1]1901年(明治34年)、東京高等師範学校研究科を修了[1]。国民教育社を創設して、雑誌「日本之小学教師」を発行した。

また1888年(明治21年)、神田区に一橋幼稚園を創設し、1915年大正4年)に池袋に移転した[1]

その他、神田区会議員、麹町区学務委員、千葉県教育会副会長、千葉師範学校校友会副会長、西巣鴨教育会副会長、帝国教育会主事、帝都教育会理事、東京保育協会監事長、全国聯合教育会常設委員を務めた[1]

著作

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  • 『小学教師鑑』(冨山房、1897年)
  • 『理論実験 学校管理法』(同文館、1898年)

脚注

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参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ、2004年。