多賀城市立多賀城中学校
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多賀城市立多賀城中学校 | |
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多賀城中学校 | |
北緯38度17分47秒 東経141度00分52秒 / 北緯38.29625度 東経141.014528度座標: 北緯38度17分47秒 東経141度00分52秒 / 北緯38.29625度 東経141.014528度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 多賀城市 |
設立年月日 | 1947年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C104222090019 |
中学校コード | 040076 |
所在地 | 〒985-0841 |
宮城県多賀城市鶴ヶ谷1丁目9番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
多賀城市立多賀城中学校(たがじょうしりつ たがじょうちゅうがっこう)は、宮城県多賀城市鶴ヶ谷一丁目にある公立中学校。
概要
[編集]多賀城市の東側に位置し、市内をおおよそ南から北方向に並行して走る国道45号線、JR東日本仙石線の東側に所在する。 学校南側には多賀城公園が、北側には宮城県貞山高校が隣接している。
生徒総数は421人、各学年4クラス、および特別支援3クラスがある。(2022年現在)[1]
開校以来長らく設置自治体(多賀城村→多賀城町→多賀城市)内での唯一の中学校であったため、学区内の人口増加および生徒数増加に伴い各学年のクラス数が10を超える時期もあった。その後、市内他中学校の相次ぐ分離開校により生徒数は減少した。
元禄2年(1689年)、俳人松尾芭蕉が「奥の細道紀行」で多賀城を訪れたゆかりで、校歌二番に「奥の細道ふみ分けて」と歌われている。
2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う津波は、学校敷地南西端付近まで達した。学校自体は津波被害を受けなかったが、学区は南側の低地を中心に多くの地域が津波で浸水した。[2]
教育目標
[編集]- 基礎・基本の学力をしっかり身に付け、豊かな心をもち、自分のよさや可能性を広げ、たくましく生き抜く生徒の育成する[3]。
沿革
[編集]- 1947年(昭和22年)4月1日 - 開校
- 1951年(昭和26年)7月1日 - 多賀城町立多賀城中学校に改称
- 1971年(昭和46年)11月1日 - 市制施行に伴い多賀城市立多賀城中学校に改称
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 多賀城市立第二中学校が分離開校
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 多賀城市立東豊中学校が分離開校
- 1995年(平成7年)4月1日 - 多賀城市立高崎中学校が分離開校
学区
[編集]部活動
[編集]・野球部、ソフトボール部、サッカー部、柔道部、剣道部、バスケットボール部、バレーボール部、バドミントン部、弓道部、卓球部、ソフトテニス部、吹奏楽部、美術部、パソコン部、特設陸上部、特設駅伝部、特設水泳部
卒業生
[編集]- 永峯良(ローカルタレント)
交通アクセス
[編集]最寄りの鉄道駅
出典
[編集]- ^ “多賀城市立多賀城中学校HP”. 多賀城市立多賀城中学校. 2022年8月3日閲覧。
- ^ “浸水範囲概況図(宮城県版)”. 国土交通省国土地理院. 2022年8月3日閲覧。
- ^ 概要より
- ^ 通学区域は多賀城市ホームページより