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大いなる旅路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大いなる旅路
監督 関川秀雄
脚本 新藤兼人
製作 大川博
出演者 三國連太郎風見章子高倉健
音楽 斎藤一郎
撮影 仲沢半次郎
配給 東映
公開 1960年3月8日
上映時間 95分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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大いなる旅路』(おおいなるたびじ)は、東映東京撮影所が製作した1960年(昭和35年)公開の日本映画である。国鉄機関士とその一家の30年にわたる物語である。

内容

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盛岡を中心とした岩手県を舞台に、とある機関士の、若き日から戦中戦後を経て定年(55歳)で国鉄を退職するまでを描いたもの。

キャスト

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エピソード

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この映画の中での機関車転覆事故は実際に1944年3月12日、山田線平津戸駅川内駅の間で蒸気機関車C58283牽引の貨物列車が転覆した事故をモチーフにしている。映画では同じ山田線の浅岸駅で蒸気機関車18633を実際に盛岡鉄道管理局長立会いで脱線転覆させて撮影を行った。

本作は国鉄OBでもある社長の大川博が唯一自ら企画したとされ[2]、実車を使用した事故再現シーンも大川と国鉄の結びつきがあって生まれた面があり、東映は国鉄から表彰も受けるなど良好な関係を築いていた[3][4]。また、監督の関川秀雄の実兄は、国鉄でのちに新幹線開発にかかわり、鉄道運転局長や北海道総局長などの要職を務めた関川行雄であった[3][5]

これらの関係を前提に企画された『新幹線大爆破』で、東映は国鉄から思わぬ拒絶を受けることとなる[3][4]

サードの助監督だった内藤誠は「昔も勿論、撮影中に酒を飲んだら大問題だけど、関川秀雄さんは撮影中の夕飯に飲む人でね。僕が東映に入りたての頃、『大いなる旅路』の盛岡ロケで関川さんが『内藤、一杯いくか?』って言うから一杯クッといっちゃったんだけど、僕はすぐ顔が赤くなる方だからチーフに『お前、夜間ロケがあること、知ってるだろう!東京帰れ!監督が飲んでることだって怒鳴りつけてやりたいぐらいなのに、お前が飲んだら照明部だって怒るだろう!』と怒られた。それで荷物をまとめていたら、それを見ていた照明部や他のスタッフが『入りたてでよく知らないんだから、そういうのはやめてくれ。内藤が帰るなら俺らも帰る」と言ってくれ、帰らずに済んだという[6]。内藤は「当時の東映東京撮影所のスタッフルームにはビールが常備されていて、撮影が終わったら皆で飲んでたんですよ。2011年に久々に映画の現場に行ったら、撮影が終わると、皆パソコンに向かうんだよ。あれは不思議だったなあ。現場は終わったらビールでしょ!」などと述べている[6]

参考文献

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椎橋俊之『SL甲組の肖像 1』ネコ・パブリッシング ISBN 9784777004270

関連項目

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脚注

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  1. ^ のりもの映画祭出発進行『大いなる旅路』”. ラピュタ阿佐ヶ谷. 2023年11月25日閲覧。
  2. ^ 俊藤浩滋山根貞男『任侠映画伝』講談社、1999年、63頁。ISBN 4-06-209594-7 
  3. ^ a b c しんゆり映画祭ゲストトーク2002「新幹線大爆破」
  4. ^ a b 緊急追悼連載! 高倉健 「背中の残響」(20)撮影協力を強く拒んだ国鉄
  5. ^ どうしんウェブニュース
  6. ^ a b 内藤誠『映画の不良性感度』小学館小学館新書〉、2022年、130–131頁。ISBN 9784098254231 

外部リンク

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