大伴不破麻呂
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大伴 不破麻呂(おおとも の ふわまろ、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。姓は宿禰。官位は正五位上・大蔵大輔。
経歴
[編集]孝謙朝末の天平勝宝9歳(757年)5月に従五位下に叙爵し、同年6月に衛門佐に任官する。同年9月に発生した橘奈良麻呂の乱の影響のためか、しばらく叙位任官の記録が見られないが[1]、称徳朝の神護景雲3年(769年)弾正弼に任ぜられ、神護景雲4年(770年)の称徳天皇の葬儀に際しては前後次第司次官を務めている。
光仁朝に入ると、宝亀2年(771年)美作守として地方官に転じ、翌宝亀3年(772年)従五位上に昇叙される。宝亀8年(777年)正五位下・大蔵大輔叙任されて京官に復すが、翌宝亀9年(778年)信濃守として再び地方官に遷った。
桓武朝の天応元年(781年)大蔵大輔に再任され、延暦3年(784年)正五位上に至る。
官歴
[編集]注記のないものは『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 天平勝宝9歳(757年) 5月20日:従五位下。6月16日:衛門佐
- 神護景雲3年(769年) 8月19日:弾正弼
- 神護景雲4年(770年) 8月17日:前後次第司次官(称徳天皇葬儀)
- 宝亀2年(771年) 7月23日:美作介
- 宝亀3年(772年) 正月3日:従五位上
- 宝亀8年(777年) 正月7日:正五位下。正月25日:大蔵大輔
- 宝亀9年(778年) 8月20日:信濃守
- 天応元年(781年) 5月25日:大蔵大輔
- 延暦3年(784年) 正月16日:正五位上
脚注
[編集]- ^ 岩波書店『続日本紀』3補注20-17