大伴宇遅古
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時代 | 古墳時代後期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
氏族 | 大伴連、大伴宇治連 |
父母 | 父:大伴金村 |
兄弟 | 磐、佐提比古、糠手子、阿彼布古、宇遅古、咋 |
大伴 宇遅古(おおとも の うじこ)は、古墳時代後期の豪族。カバネは連。大伴金村の子。
甲斐国一宮の浅間神社に伝わる『古屋家家譜』にのみ名前が見える。宇治大伴連等の祖。
概要
[編集]紀伊国名草郡の宇治大伴連、大伴檪津連、大伴若宮連、神私連の祖とされる。
『日本霊異記』に登場する大部屋栖野古は宇遅古と同一人物(宇遅古は「伝承上の祖」としての名前、屋栖野古は「現実上の祖」としての名前)であるとする説が存在する[1]。
宇遅古の末裔と見られる人物は以下の通りである[2]。
- 大部屋栖野古(推古天皇朝)[3]
- 大伴檪津連子人(養老8年(724年)、名草郡少領)[4]
- 大伴若宮連部良(天平勝宝2年(750年)、名草郡忌部郷戸主)[5]
- 大伴若宮連真虫(天平勝宝2年(750年)、名草郡忌部郷戸主)[5]
- 大伴若宮連大渕(天平勝宝2年(750年)、名草郡忌部郷戸主)[5]
- 榎本連千嶋(天平宝字4年(760年)、前名草郡少領)[4]
- 供直継岡(貞観3年(861年)、名草郡直川郷刀禰)[6]
- 榎本連(闕名)(貞観3年(861年)、名草郡主帳 [6]
- 伴直宅子(貞観6年(864年、名草郡人)[7]