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大八木喬輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大八木 喬輔(おおやぎ きょうすけ、1881年7月[1] - 没年不詳)は、日本台湾中国法務官裁判官弁護士

経歴

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福岡県遠賀郡底井野村(現・中間市)に生まれる[1]。1900年福岡県中学修猷館[2]、1904年7月第一高等学校独法科[3]を経て、1907年7月京都帝国大学法科大学(独法)を卒業[4][1]

卒業後、直ちに志願兵として小倉歩兵第14連隊に入隊し三等主計に任官。1909年東京第1師団軍法会議法務官、次いで岡山第17師団軍法会議法務官、1912年台湾総督府軍法会議法務官、1916年青島守備軍軍法会議法務官兼青島守備軍法院裁判官、1920年小倉第12師団軍法会議法務官を歴任し、軍事法務上の一大権威と称されるが、1925年官を辞し、小倉市で弁護士を開業[1]

脚注

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  1. ^ a b c d 『日本産業人名資料事典2第3巻』(日本図書センター、2002年) 366頁
  2. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員3頁
  3. ^ 『第一高等学校一覧(自昭和16年至昭和17年)(附録)』(第一高等学校、1941年)103頁
  4. ^ 『京都帝国大学一覧(自大正14年至大正15年)』(京都帝国大学、1926年)卒業生姓名508頁