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大内町立下川大内中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大内町立下川大内中学校
地図北緯39度27分2.92秒 東経140度10分21.73秒 / 北緯39.4508111度 東経140.1727028度 / 39.4508111; 140.1727028座標: 北緯39度27分2.92秒 東経140度10分21.73秒 / 北緯39.4508111度 東経140.1727028度 / 39.4508111; 140.1727028
過去の名称 下川大内村立下川大内中学校
大内村立下川大内中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 下川大内村(1947年 - 1956年)
大内村(1956年 - 1970年)
大内町(1970年 - 1984年)
設立年月日 1947年4月1日
開校記念日 5月1日
閉校年月日 1984年3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 018-08[1]
秋田県由利郡大内町松本字小及位野78[1]
(現:秋田県由利本荘市松本字小及位野78)
外部リンク 公式サイト
Wayback Machine
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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大内町立下川大内中学校(おおうちちょうりつ しもかわおおうちちゅうがっこう)は、秋田県由利郡大内町(現:由利本荘市)にあった公立中学校。通称は下中(しもちゅう)。

概要

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1947年昭和22年)4月に開校し、1984年(昭和59年)3月に閉校した。

沿革

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  • 1947年(昭和22年)
    • 2月18日 - 村役場において学務委員会を開き、新学制実施準備委員会を設立[2]
    • 4月1日 - 学制改革により、「下川大内村立下川大内中学校」として下川大内小学校に併設する形で開校[2]
    • 5月1日 - 開校式を開催[2]
    • 6月20日 - 小学校付設の5教室が完成し、竣工式ならびに開校記念祝賀会を開催[2]
    • 10月 - 及位出身藤原武美の原作による図案を校章として制定[2]
  • 1948年(昭和23年)
    • 1月24日 - 週5日授業制へ移行(1951年3月まで)[2]
    • 7月7日 - 下川大内村学校父兄会を、下川大内村学校PTAに改組[2]
  • 1950年(昭和25年)
    • 5月 - 県教育委員会より、職業家庭科の標準校に指定[2]
    • 5月17日 - 下川大内中学校PTAとして独立発足[2]
    • 10月15日 - 全国唱歌ラジオコンクール由利郡予選において、成績優良につき表彰される[2]
  • 1951年(昭和26年)
    • 3月31日 - 学校林造成の成績優良につき、県知事より表彰される[2]
    • 8月6日 - 小関川流域に大洪水が起こり、被害甚大にして各方面より義捐を受ける[2]
    • 9月18日 - 全郡中学校由利郡上球技大会において男子800mリレー、女子砲丸投、高跳で優勝[2]
  • 1952年(昭和27年)
    • 6月21日 - 校舎1期工事が完了し、独立校舎へ移転[2]
    • 12月5日 - 気象観測の成績優良につき、県知事より表彰される[2]
  • 1953年(昭和28年)12月7日 - 校舎新第二期工事施工式を開催[2]
  • 1954年(昭和29年)7月10日 - 郡市中学校郡上競技大会において男子800mリレー、3年男子100m走で優勝[2]
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 町村合併により、「大内村立下川大内中学校」に改称[2]
  • 1957年(昭和32年)
    • 2月9日 - 水道を整備[2]
    • 5月20日 - 県教育委員会より2か月計画の健康教育研究校に指定[2]
    • 11月27日 - 創立十週年記念式ならびに祝賀会を開催。 記念として生徒作品展、青年会、婦人会の展示会や、校舎中庭に記念校庭を設置。5月1日を開校記念日に制定[2]
  • 1958年(昭和33年)
    • 3月15日 - 卒業生より校旗の寄付(二万五千円)を受け、授与式を開催[2]
    • 7月27日 - 郡市中学校競技大会において総合4位に入賞。女子400mリレーで優勝[2]
    • 完全給食を開始[3]
  • 1959年(昭和34年)
  • 1961年(昭和36年)
    • 6月 - 田植農繁休業を廃止[2]
    • 8月4日 - 上浜にて3日間海浜学校を開設(110人参加)[2]
  • 1963年(昭和38年)
  • 1964年(昭和39年)
  • 1965年(昭和40年)3月20日 - ステージが完成[2]
  • 1966年(昭和41年)12月6日 - 創立20周年記念事業として、中庭とグランドを整備[2]
  • 1967年(昭和42年)6月21日 - 創立20周年記念式典を開催[2]
  • 1968年(昭和43年)
    • 3月 - 吹奏楽部を設立[2]
    • 7月7日 - 郡市少年柔道大会にて優勝[2]
  • 1969年(昭和44年)11月3日 - 郡市柔道大会新人戦にて団体優勝[2]
  • 1970年(昭和45年)
    • 4月1日 - 町制施行により、「大内町立下川大内中学校」に改称。
    • 4月29日 - 春季郡市中学校柔道大会にて優勝[2]
  • 1971年(昭和46年)
  • 1974年(昭和49年)2月 - 豪雪で雪積が175センチメートルとなったことを受け、特別予算で校舎の危険防止対策を実施[2]
    小中学校の空中写真。中学校は左である。1976年9月撮影。
  • 1977年(昭和52年)
    • 6月19日 - 全県中学校ソフトボール大会にて初優勝[2]
    • 10月29日 - 創立30周年記念式典を開催[2]
  • 1978年(昭和53年)
    • 6月27日 - 火災が発生し、管理棟を焼失。焼失面積は1,037平方メートル[2]
    • 7月24日 - 郡市陸上競技大会200m走にて3位に入賞[2]
    • 9月7日 - プレハブ校舎へ移転[2]
  • 1979年(昭和54年)
    • 6月12日 - 郡市陸上競技大会800m走にて大会新記録を樹立し、優勝[2]
    • 7月23日 - 全県中学校陸上競技大会800m走にて2位に入賞[2]
  • 1980年(昭和55年)8月 - 保呂羽山宿泊訓練を導入[2]
  • 1982年(昭和57年)12月4日 - 人権モデル地区事業指名校として、秋田地方法務局秋田県人権擁護委員連合会より感謝状を受領[2]
  • 1983年(昭和58年)
  • 1984年(昭和59年)
    • 3月18日 - 閉校式を開催[2]
    • 3月31日 - 大内中学校への統合により、閉校[2]

生徒・学級数

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開校時から閉校時までの生徒数と学級数の推移。1948年度、1950年度から1954年度、1956年度から1961年度、1972年度、1977年度以外を掲載。

開校後から1950年代にかけては順調に増加してゆき、1962年度に431人でピークを迎えた。ピークとなった1962年度から64年度は、戦後のベビーブーム期に生まれた者(いわゆる団塊の世代)が在籍していたころで、また町内では最も生徒数が多かった[4]。その後1965年度から減少に転じ、翌1966年度に400人、1970年度に300人、1974年度には200人を割った。1960年代後半から1970年代前半にかけては著しく減少しており、1学級分に値する年も見られた。その後も増加に転じることはなく、126人を最後に閉校した。

年度 生徒数 増減 学級数 増減 出典
1947(昭和22)年度 260 6 [2]
1949(昭和24)年度 404 144 9 3 [5]
1955(昭和30)年度 418 14 9 0 [6]
1962(昭和37)年度 431 13 10 1 [7]
1963(昭和38)年度 431 0 10 0 [8]
1964(昭和39)年度 431 0 10 0 [9]
1965(昭和40)年度 417 -14 10 0 [4]
1966(昭和41)年度 392 -25 9 -1 [10]
1967(昭和42)年度 377 -15 9 0 [11]
1968(昭和43)年度 348 -29 9 0 [12]
1969(昭和44)年度 312 -36 9 0 [13]
1970(昭和45)年度 275 -37 8 -1 [4]
1971(昭和46)年度 273 -2 8 0 [14]
1973(昭和48)年度 228 -45 7 -1 [15]
1974(昭和49)年度 187 -41 6 -1 [16]
1975(昭和50)年度 185 -2 6 0 [4]
1976(昭和51)年度 179 -6 6 0 [17]
1978(昭和53)年度 156 -23 不明 [18]
1979(昭和54)年度 134 -22 [19]
1980(昭和55)年度 124 -10 5 [4]
1981(昭和56)年度 123 -1 不明 [20]
1982(昭和57)年度 129 6 [21]
1983(昭和58)年度 126 -3 [1]

周辺

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  • 由利本荘警察署大内東駐在所
  • 大内総合支所下川大内出張所・下川大内地区館
  • 下川大内保育園

脚注

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出典

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  1. ^ a b c 『全国学校総覧 昭和59年版』東京教育研究所、1983年10月25日、261頁。doi:10.11501/12245198ISBN 4-562-01411-3 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd 下川大内中学校沿革概要”. 由利本荘市立大内中学校公式サイト. 由利本荘市. 2005年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  3. ^ 大内町年表 - 1918年(大正7年)~1962年(昭和37年)”. 大内町役場ホームページ. 大内町. 2005年2月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月14日閲覧。
  4. ^ a b c d e 児童生徒数の推移”. 大内町役場ホームページ. 大内町. 2005年2月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月14日閲覧。
  5. ^ 日教組編集部 編『全国学校名鑑 昭和25年版』文化研究社、1950年6月1日、30頁。doi:10.11501/3033164 
  6. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和31年版』文化研究社、1956年5月25日、39頁。doi:10.11501/3032777 
  7. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和38年版』文化研究社、1963年4月10日、43頁。doi:10.11501/3043688 
  8. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和39年版』文化研究社、1964年4月1日、43頁。doi:10.11501/3043689 
  9. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和40年版』文化研究社、1965年3月10日、43頁。doi:10.11501/3043690 
  10. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和42年版』文化研究社、1967年2月20日、43頁。doi:10.11501/3043692 
  11. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和43年版』文化研究社、1968年1月20日、43頁。doi:10.11501/3043693 
  12. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和44年版』文化研究社、1969年2月15日、43頁。doi:10.11501/9528544 
  13. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和45年版』文化研究社、1970年2月1日、43頁。doi:10.11501/9528545 
  14. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和47年版』文化研究社、1972年2月1日、43頁。doi:10.11501/12246676 
  15. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和49年版』文化研究社、1974年2月1日、43頁。doi:10.11501/12246885 
  16. ^ 福武書店 編『全国学校名鑑 昭和50年版』福武書店、1974年10月1日、437頁。doi:10.11501/12244266 
  17. ^ 『全国学校名鑑 昭和52年版』福武書店、1976年10月10日、280頁。doi:10.11501/12242598 
  18. ^ 『全国学校総覧 昭和54年版』東京教育研究所、1978年11月25日、250頁。doi:10.11501/12250020 
  19. ^ 『全国学校総覧 昭和55年版』東京教育研究所、1979年11月15日、251頁。doi:10.11501/12251261 
  20. ^ 『全国学校総覧 昭和57年版』東京教育研究所、1981年11月20日、252頁。doi:10.11501/12245750 
  21. ^ 『全国学校総覧 昭和58年版』東京教育研究所、1982年11月20日、257頁。doi:10.11501/12248946 

関連項目

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外部リンク

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