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大園古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大園古墳

大園古墳跡 説明板
所在地 大阪府高石市西取石8丁目
位置 北緯34度30分56.85秒 東経135度26分25.87秒 / 北緯34.5157917度 東経135.4405194度 / 34.5157917; 135.4405194座標: 北緯34度30分56.85秒 東経135度26分25.87秒 / 北緯34.5157917度 東経135.4405194度 / 34.5157917; 135.4405194
形状 帆立貝形古墳
規模 墳丘長53m(または57m)
埋葬施設 不明
出土品 埴輪
築造時期 5世紀
史跡 なし
特記事項 墳丘は非現存
地図
大園古墳の位置(大阪府内)
大園古墳
大園古墳
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大園古墳(おおぞのこふん)は、大阪府高石市西取石にあった古墳。形状は帆立貝形古墳。現在では墳丘は失われている。

概要

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和泉北部の首長墓系譜[1]
古墳名 形状 規模 築造時期
和泉黄金塚古墳 前方後円墳 94m 4c末
丸笠山古墳 前方後円墳 96m 4c末
鍋塚古墳 円墳 60-70m 5c初
王塚古墳 帆立貝形古墳 46m 5c中
信太貝吹山古墳 帆立貝形古墳 60m 5c前
カニヤ塚古墳 帆立貝形古墳 不明 5c後
大園古墳 帆立貝形古墳 50m 5c末
富木車塚古墳 前方後円墳 48m 6c中
狐塚古墳 前方後円墳 58m 6c後

大阪府南部、信太山丘陵北西麓の低位段丘上に築造された古墳である。19741976年昭和49・51年)に大阪府教育委員会・高石市教育委員会による発掘調査が実施されたのち、現在は消滅している[2]

墳形は、前方部が短小な帆立貝形の前方後円形[2]。調査時点では既に墳丘は完全に削平されていたが、墳丘長は約53メートル[2](または約57メートル[3])、後円部は直径約34メートル、前方部は幅約25メートルを測った[2]。墳丘表面には葺石埴輪が存在したと見られ、いずれも周濠内に転落したものが検出されている[2]。特に埴輪には円筒埴輪のほか、多数の形象埴輪(家形・人物形・馬形・鶏形・草摺形・盾形・靫形・蓋形・剣形埴輪)が認められている[2]。また墳丘周囲には幅3-4メートルの周濠が巡らされる[2]。埋葬施設は削平のため明らかでない。

この大園古墳は、古墳時代中期の5世紀末頃の築造と推定される[2][1]。本古墳を含む一帯の大園遺跡は古墳時代の大規模集落(掘立柱建物群)として知られ、本古墳はその首長墓に位置づけられる。また和泉地方北部では首長墓古墳として北群・南群の2群が認められるが、北群・南群にはそれぞれ時期的空白が認められることから両群が輪番制で首長を担ったと推定され、本古墳はそのうちの1つに位置づけられる[1][4]

脚注

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  1. ^ a b c 「和泉北部の首長系譜」『和泉市の考古・古代・中世 (和泉市の歴史6)』 和泉市史編さん委員会編、和泉市・ぎょうせい、2013年、pp. 65-70。
  2. ^ a b c d e f g h 大園古墳(古墳) 1989.
  3. ^ 史跡説明板。
  4. ^ 『大園遺跡発掘調査報告書 -土地区画整理事業に伴う葛の葉地区の調査-』 和泉市教育委員会、2014年、pp. 1-4。

参考文献

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  • 史跡説明板(高石市、1994年設置)
  • 「大園遺跡」『日本歴史地名大系 28 大阪府の地名』平凡社、1986年。ISBN 458249028X 
  • 松村隆文「大園古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607