大坪一馬
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大坪 一馬 | |
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生誕 |
1895年7月3日 日本 佐賀県 |
死没 | 1969年10月25日(74歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1918年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
大坪 一馬(おおつぼ かずま、1895年(明治28年)7月3日[1] - 1969年(昭和44年)10月25日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
経歴
[編集]1895年(明治28年)に佐賀県で生まれた[1]。陸軍士官学校第30期、陸軍大学校第42期卒業[1]。1938年(昭和13年)2月に中支那派遣軍作戦課長に就任し[2]、日中戦争に出動[1]。1939年(昭和14年)3月に野砲兵第37連隊長[注釈 1](第1軍・第37師団)に転じ[2]、晋南作戦、郷寧作戦などに参加[1]。同年8月1日に陸軍砲兵大佐に進級[2]。1940年(昭和15年)8月に陸軍野戦砲兵学校研究部主事に転じ[2]、1941年(昭和16年)11月に陸軍技術本部課長[2]、1942年(昭和17年)9月に第23軍高級参謀を歴任した[2]。
1943年(昭和18年)8月2日に陸軍少将に進級し[2]、11月13日に陸軍重砲兵学校附となり[1]、1944年(昭和19年)10月に陸軍重砲兵学校長に就任した[1]。1945年(昭和20年)3月19日に陸軍重砲兵学校附となり[3]、3月23日に第3方面軍参謀長(関東軍)に就任し[1]、終戦時は奉天に位置した[1]。発令日は不明であるが第3方面軍参謀副長に転じ、8月16日に再度第3方面軍参謀長に就任している[4]。
1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[5]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。