大宮以季
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大宮以季 | |
時代 | 江戸時代後期 - 昭和時代 |
生誕 | 安政5年2月11日[1](1858年3月25日) |
死没 | 昭和7年(1932年)7月2日[1][2] |
主君 | 孝明天皇→明治天皇→大正天皇 |
氏族 | 小倉家→大宮家 |
父母 |
父:小倉輔季、母:家女房 養父:大宮公典 |
兄弟 | 小倉窿季、錦小路頼言、古谷道俊、河原林岡麿、枝吉歌麿、八条隆邦、橋本寛麿、小倉常麿、橋本実梁、以季 |
妻 | 大宮政子(大宮政季の長女) |
子 |
智栄、浩季 養子:公孝 |
大宮 以季(おおみや もちすえ)は、幕末の公家、明治・大正期の宮内官、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・小倉[1]。
経歴
[編集]左近衛権中将・小倉輔季の八男として生まれる[1][3]。大宮公典の死後に家督を継承[1][3]。文久3年11月28日(1864年1月7日)従五位下に叙され[3][4]、1873年(明治6年)9月29日に元服した[3]。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[5][6]。
1887年(明治20年)9月、明宮(大正天皇)勤務となる[2][4]。以後、東宮侍従、大喪使祭官、歌御会始講頌などを務めた[2]。
1897年(明治30年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[7][8]、研究会に所属して活動し[2]、1925年(大正14年)7月9日まで4期在任した[2][5]。
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『大宮家譜』1875年。東京大学史料編纂所所蔵。
- 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 大賀妙子校訂・編集『幕末公家集成』新人物往来社、1993年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 大宮家初代 1884年 - 1932年 |
次代 大宮公孝 |