大宮運転区
表示
この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。 (2012年7月) |
大宮運転区(おおみやうんてんく)は、埼玉県さいたま市中央区上落合9丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)大宮支社の運転士が所属する組織[1]。旧称の大宮機関区を含めると100年以上の歴史がある。 構内には機関区時代のモニュメントや記念碑が点在する。
概要
[編集]- 大宮駅の南方、東北新幹線の高架の西側に位置し、JR東日本大宮支社ビル建設[2]後は構内に20本程の留置線が存在した。
- 名称は「大宮」だが、所在地は旧与野市にあり、旧大宮市ではない。ただし、電話局は大宮局(旧与野エリアは浦和局)である。
- 構内には留置線があり、昭和時代は貨物や機関車の入れ替え、平成になってからは廃車の一時留置などに利用されていたが、現在は時々乗務員訓練や駅などの合同訓練時に使用される程度で、留置線自体も全盛期の3分の1程度に減っている。
- 構内南端からは東北貨物線下り線の下をくぐって大宮操車場の中1番線と線路でつながっていたほか、大宮支社ビル脇の線路からは大宮総合車両センターにも通じていた。
歴史
[編集]- 1894年ごろ(明治29年ごろ)- 大宮機関区設置(公式資料なし)
- 1901年(明治34年)- 第三代区長就任(三代目区長就任日以降は公式資料あり)
- 1903年(明治36年) - 大宮駅南側に移転
- 1952年(昭和27年) - 鉄道設立80周年記念式典開催
- 1957年(昭和32年) - 安全の鐘設立
- 1969年(昭和44年) - 国鉄D51形蒸気機関車の業務終了
- 1979年(昭和54年) - 現庁舎完成
- 1985年(昭和60年) - 埼京線開通、川越線電化。電車業務が中心となる。
- 1987年(昭和62年) - 大宮運転区に改称
- 1987年(昭和62年) - 東京地域本社の管轄となる
- 1994年(平成6年) - 平成採用の運転士養成開始
- 1998年(平成10年) - 東京支社発足により同支社の管轄となる。
- 2000年(平成11年) - 大宮支社建設で用地供給の為、留置線が激減する。
- 2001年(平成13年) - 大宮支社発足により同支社の管轄となる。
- 2019年(平成31年) - 東北新幹線高架付近と大宮支社ビル付近の線路が撤去される。
脚注
[編集]- ^ “埼京線をつくる人 #08 丸田紀明さん(大宮運転区 主任運転士)”. SAI-KYO DIALOGUE LINE. 2019年11月17日閲覧。
- ^ “JR東日本大宮支社ビル|施工実績|日本電設工業株式会社”. www.densetsuko.co.jp. 2019年11月17日閲覧。