大山梓
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大山 梓(おおやま あずさ、1916年9月9日 - 1992年3月2日)は、日本の海軍軍人、研究者。軍人時代の階級は海軍主計大尉、学位は法学博士。広島大学教授、帝京大学法学部教授。大山巌の孫・大山柏の長男。 長女に由美子[1]、他に大山格
来歴
[編集]- 1916年(大正5年) - 陸軍少佐公爵・大山柏の長男として生まれる。
- 学習院高等科を経て、1940年、京都帝国大学法学部卒業。のち東京帝国大学文学部倫理学科中退[2]。
- 大日本帝国海軍主計大尉
- 外務事務官
- 1964年(昭和39年) - 国際法学会1964年度秋季大会(岡山大学)にて『日露戦争と開戦外交』を発表。
- 1967年(昭和42年) - 法学博士号(慶應義塾大学)取得
- 広島大学教授
- 1981年(昭和56年) - 同職を退官する。
- 帝京大学法学部教授
- 1992年(平成4年) - 死去する。享年76
著作・論文
[編集]著書
[編集]- 1967年(昭和42年) - 『旧条約下に於ける開市開港の研究・日本に於ける外国人居留地』 鳳書房
- 1973年(昭和48年) - 『日露戦争の軍政史録』 芙蓉書房
- 1980年(昭和55年) - 『日本外交史研究』 良書普及会
- 1989年(平成元年) - 『日本外交史話』 鳳書房
- 1989年(平成元年) - 『私と歴史学』 鳳書房
- 1994年(平成6年) - 『日本外交叢話』 鳳書房 ISBN 4-900304-22-0
共著
[編集]- 1991年(平成3年) - 『条約改正調書集成 (上・下)』 稲生典太郎と共編、原書房「明治百年史叢書」
編纂
[編集]論文
[編集]- 1978年(昭和53年) - 『日独戦争と青島占領』(「広島法学」第1巻第2号 広島大学法学会に収録)
- 1978年(昭和53年) - 『日露戦争と病院船』(「広島法学」第1巻第3・4合併号 広島大学法学会に収録)
- 1978年(昭和53年) - 『日米条約と米総領事』(「広島法学」第2巻第2・3合併号 広島大学法学会に収録)
- 1979年(昭和54年) - 『横浜外国人居留地取締規則』(「広島法学」第2巻第4号 広島大学法学会に収録)
- 1979年(昭和54年) - 『日露戦争と捕虜』(「広島法学」第3巻第3号 広島大学法学会に収録)
- 1989年(平成元年) - 『居留地研究の回顧と展望』(「横浜居留地の諸相」横浜開港資料館に収録)
博士論文
[編集]- 1967年(昭和42年) - 『旧條約下に於ける開市開港の研究』 慶應義塾大学 乙第224号
関連書
[編集]- 1981年(昭和56年) - 『広島法学〈第4巻 第3・4合併号〉大山梓先生退官記念号』 広島大学法学会
家族・親族
[編集]- 五世祖父(母方):徳川家斉 - 江戸幕府第11代将軍
- 高祖父(父方):西郷隆充 - 薩摩藩士
- 高祖父(父方):大山綱毅 - 薩摩藩士
- 高祖父(父方):山川重英 - 陸奥会津藩家老
- 高祖父(母方):近衛忠煕 - 公卿、近衛家27代当主
- 高祖父(母方):島津久長 - 薩摩藩士
- 高祖父(母方):前田斉泰 - 加賀藩第12代藩主
- 高祖母(母方):溶姫 - 徳川家斉の娘
- 従大伯父(父方):西郷隆盛 - 薩摩藩士、参議、陸軍元帥、大日本帝国陸軍大将
- 従大伯父(父方):西郷従道 - 薩摩藩士、大日本帝国海軍元帥大将
- 曾祖父(父方):大山綱昌(西郷小兵衛) - 薩摩藩士
- 曾祖父(父方):山川重固 - 会津藩士
- 曾祖父(母方):近衛忠房 - 公卿、近衛家28代当主
- 曾祖父(母方):前田慶寧 - 加賀藩第13代藩主
- 祖父(父方):大山巌 - 大日本帝国陸軍・元帥大将
- 祖母(父方):大山捨松 - 山川重固の娘、愛国婦人会理事、赤十字篤志看護会理事
- 祖父(母方):近衛篤麿 - 第3代貴族院議長、第7代学習院院長
- 祖母(母方):近衛貞子 - 前田慶寧の六女
- 伯父(母方):近衛文麿 - 第34・38・39代内閣総理大臣
- 父:大山柏 - 陸軍少佐、文学博士、考古学者
- 母:武子 - 近衛文麿の妹
- 弟:大山桂 - 理学博士
- 妻:智子 - 浜地秋太郎の娘
- 長女:由美子 - 延広知児に嫁ぐ
脚注
[編集]出典・参考資料
[編集]- 『広島法学』広島大学法学会