大岩正仲
表示
大岩 正仲(おおいわ まさなか、1909年1月16日[1] - 1972年6月19日[2])は、日本の言語学者・国語学者。千葉大学元教授。
経歴
[編集]東京市芝区(現:港区)生まれ。東京外国語学校ドイツ語学科を経て京城帝国大学文学科卒。外国語学校卒業後にはすでに東条操のアシスタントとして平凡社『大辞典』(1933年)の方言の項目を担当。それを皮切りに『全国方言辞典』(1951年)、『分類方言辞典』(1954年)の刊行の際実質的な作業に力を注いだ。
その後、いよいよ大岩の名前で『日本方言大辞典』を編集・刊行すべく作業を進めていたが、1972年、その完成を見ずに死去。享年64。
その後徳川宗賢が大岩の遺志を受け継ぎ『日本方言大辞典』を刊行した。これは、日本最大級の方言辞典とも言われる[3][4][5]。
主な著書・論文
[編集]- 日本音声学協会 『音声学協会会報』
- (1930年)「音聲の分類に就いて」
- (1931〜1932年)「單音の辨(一〜四)」
- (1933年)「單音辯辯」
- (1935年)「音韻ドグマ斷片」
- (1935年)「菊澤季生氏著「國語音韻論」――書評」
- (1936年)「書評:言語學論文集」
- (1936年)「橘正一氏著「方言學槪論」――書評」
- (1936年)「書評:菊澤季生著「新興國語學序說」」
- ローマ字ひろめ会 『ローマ字』
- (1935年)「謹みて哀悼の意を表し奉る」
- 国語文化学会 『コトバ』
- (1936年)「市河三喜氏譚イエスペルセン原著Languageの邦譚書について」
- (1936年)「「シ」音考」
- (1936年)「大西雅雄著『敎育音聲學』」
- (1936年)「批評と飜譯」
- 東京大学国語国文学会『国語と国文学』
- (1936年)「山田孝雄博士著「日本文法學槪論」」
- (1942年)「奈良朝語法ズハの一解」
- (1948年) 「「現代かなづかい」批判 」
- (1949年)「「当用漢字字体表」所感」
- (1949年)「当用漢字体表についての林大氏の弁明を読む」
- 国立国語研究所(1950年)『千葉県方言研究の概観』
- 日本音声学会(1950年)『音声研究 : 日本音声学会機関誌』
- 「促音のかなづかいについて」
- 千葉大学教育学部分校国語研究室 『国語と教育』
- (1951年)「日本文法・国語篇」
- (1951年)「国語政策と国語教育」
- 日本音声学会 『音声の研究. 第7輯』
- (1951年)「長音かなづかいの再吟味」
- 国立国語研究所(1951年)『安房上総方言カ行子音脱落の実態』
- 国立国語研究所(1954年)『千葉県館山市竹原』
- 「方言区画論」(『解釈と鑑賞』 1954年)
- 「方言区画について」(『近畿方言双書』Ⅰ 1955年)
- 「方言語彙」(『国語学辞典』1955年)
- 明治書院(1958年)『日本文法講座 続 第2 (表記編)』
- 「かなづかいと文法」
- 東京堂(1959年)『文語文法概要』
- 東条操監修(1964年)『日本の方言区画』
- 「方言区画私議」
- 東京堂(1967年)『文語文法概要 第3版』
- 東京堂(1968年)『文語文法概要 第5版』
- 至文堂 『国文学 : 解釈と鑑賞』
- (1969年)「調査観究の手引き 方言辞典を作る」
- 平井昌夫, 徳川宗賢(1969年) 『方言研究のすべて』
- 「方言辞典を作る」
- (1970年)「ブックレビュー 柴田武『言語地理学の研究の方法』」
執筆に関わった書籍
[編集]- 平凡社(1933年)『大辞典』
- 東条操(1951年)『全国方言辞典』
- 東条操(1954年『分類方言辞典』
- 徳川宗賢監修(1989年)『日本方言大辞典』
出典
[編集]参考文献
[編集]- 徳川宗賢『大岩正伸先生を偲ぶ』
- 『約20万項目のお国言葉の集大成! 日本最大級の方言辞典 日本方言大辞典』
- 大岩正仲(1959年)『文語文法概要』