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大浪妙博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大平山憲治から転送)

大浪 妙博(おおなみ たえひろ、1908年9月1日 - 1985年7月7日[1])は、秋田県南秋田郡戸賀村出身[2]高島部屋に所属した力士。本名は石川 三治。187cm、101kg。最高位は東前頭3枚目。

経歴

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大浪三治誕生の碑

1926年5月場所初土俵、1932年2月場所春秋園事件により幸運な十両昇進。十両では新十両の場所で8戦全勝優勝を果たすなど負け越しがなく、翌1933年1月に新入幕を果たした。連続6場所幕内を務めたのち、一度十両に陥落したが、再度十両優勝を果たしている(1936年1月場所)。1936年5月に再入幕、1940年1月場所には最高位である東前頭3枚目に進出、同年5月場所では横綱男女ノ川を倒して金星を獲得したが、翌1941年1月場所を全休してそのまま廃業した[要出典]

左四つの吊り寄り、投げのほかに足取りを得意とし、けいこ場では双葉山も手こずったといわれている。

長身で手足が長く、顔も大きかった特徴のある力士で「強いのか弱いのか判らない不思議な力士」と評された。同部屋で同期生の巴潟は小兵でけいこ熱心だったのに対し、大柄な大浪はけいこ嫌いと好対照であった。また、戦後の幕内力士七ッ海は、容姿や取り口などが大浪に似ていた。

1948年の講道館機関誌『柔道』で玉嶺生は外小股について、大浪がよくやった、と述べている[3]

1985年に76歳で没した。

成績

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  • 幕内16場所82勝103敗15休
  • 十両優勝2回、金星1(男女ノ川)。

場所別成績

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大浪妙博
春場所 三月場所 夏場所 秋場所
1926年
(大正15年)
x x (前相撲) x
1927年
(昭和2年)
西序ノ口22枚目
3–3 
西序ノ口22枚目
5–1 
東序二段55枚目
4–2 
東序二段29枚目
0–0–6 
1928年
(昭和3年)
西序二段18枚目
4–2 
東序二段47枚目
4–2 
東三段目37枚目
3–3 
東三段目37枚目
4–2 
1929年
(昭和4年)
西三段目10枚目
4–2 
西三段目10枚目
4–2 
西幕下24枚目
3–3 
西幕下24枚目
3–3 
1930年
(昭和5年)
東幕下19枚目
3–3 
東幕下19枚目
2–4 
西幕下34枚目
5–1 
西幕下34枚目
4–2 
1931年
(昭和6年)
東幕下10枚目
3–3 
東幕下10枚目
3–3 
西幕下10枚目
2–4 
西幕下10枚目
4–2 
1932年
(昭和7年)
東十両8枚目
優勝
8–0
東十両8枚目
5–5 
東十両筆頭
6–5 
東十両筆頭
7–4 
1933年
(昭和8年)
東前頭4枚目
4–7 
x 西前頭13枚目
7–4 
x
1934年
(昭和9年)
西前頭6枚目
4–7 
x 東前頭12枚目
6–5 
x
1935年
(昭和10年)
東前頭10枚目
4–7 
x 西前頭14枚目
3–8 
x
1936年
(昭和11年)
西十両2枚目
優勝
10–1
x 東前頭12枚目
5–6 
x
1937年
(昭和12年)
東前頭13枚目
5–6 
x 東前頭15枚目
7–6 
x
1938年
(昭和13年)
東前頭8枚目
5–8 
x 東前頭15枚目
7–6 
x
1939年
(昭和14年)
西前頭7枚目
5–8 
x 東前頭12枚目
9–6 
x
1940年
(昭和15年)
東前頭3枚目
4–11 
x 東前頭10枚目
7–8
x
1941年
(昭和16年)
西前頭3枚目
引退
0–0–15
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  • 1932年1月番付では幕下西11枚目

改名

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梅林→大浪→大平山→大浪 [4]

出典

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  1. ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 79頁
  2. ^ 秋田力士伝
  3. ^ 玉嶺生「柔道五教の技と角力四十八手」『柔道』第19巻第5号、講道館、1948年4月、22-23頁。 
  4. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

関連項目

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