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大庭浩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大庭 浩(おおば ひろし、1925年12月6日[1] - 2003年12月24日)は、日本の実業家工学博士川崎重工業社長、会長を務めた。

経歴・人物

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静岡県掛川市出身[1]1948年大阪大学工学部を卒業し、同年に川崎重工業に入社した[1]1980年6月に取締役に就任し、1983年6月に常務、1985年6月に専務を経て、1986年6月に副社長に就任し、1987年6月には社長に昇格した[1]。在任中は、工場の統廃合や品質保証運動をなどを進めていくことで、経営基盤を再建し、創業100周年の年である1996年には売上高1兆円を達成した[2]1996年6月には会長も兼任し、1997年6月に会長に専任し、2000年6月に相談役名誉会長を経て、2001年6月には相談役に就任[1]

1999年から神戸商工会議所会頭に就任し、自身が理事長を務めていた新産業創造研究機構を通して、産学官連携によるベンチャー企業の育成に取り組むことで、阪神淡路大震災で低迷していた神戸市の経済復興に尽力した[3]。太平洋人材交流センター理事[4]日本航空宇宙工業会会長[5]なども歴任した。1990年11月に藍綬褒章を受章し、1996年に大英勲章を受章し[6]1998年3月にレジオン・ドヌール勲章を授章し、1997年11月に勲一等瑞宝章を受章した[3]

2003年12月24日心不全のために死去[3]。78歳没。

脚注

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  1. ^ a b c d e 人事興信所 2003, お169頁.
  2. ^ 2003年 12月25日 日経産業新聞 p23
  3. ^ a b c 2003年 12月24日 日本経済新聞 大阪夕刊 p19
  4. ^ PREXの歩み - 太平洋人材交流センター
  5. ^ 第4部 - 日本航空宇宙工業会
  6. ^ 1996年 2月29日 日経産業新聞 p27

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第42版 上』人事興信所、2003年。 
先代
長谷川謙浩
川崎重工業社長
第10代:1987年 - 1997年
次代
亀井俊郎