大張村
表示
おおはりむら 大張村 | |
---|---|
廃止日 | 1954年12月1日 |
廃止理由 |
新設合併 大張村、丸森町、金山町、大内村、耕野村、小斎村、舘矢間村、筆甫村 → 丸森町 |
現在の自治体 | 丸森町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 伊具郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 16.13 km2 |
総人口 |
2,362人 (『宮城県町村合併誌』、1954年11月30日) |
隣接自治体 |
伊具郡:角田町、丸森町、舘矢間村、耕野村 白石市 |
大張村役場 | |
所在地 | 宮城県伊具郡大張村 |
座標 | 北緯37度56分14秒 東経140度40分34秒 / 北緯37.93711度 東経140.67622度座標: 北緯37度56分14秒 東経140度40分34秒 / 北緯37.93711度 東経140.67622度 |
ウィキプロジェクト |
大張村(おおはりむら)は、昭和29年(1954年)まで宮城県伊具郡の阿武隈川西岸にあった村。現在の丸森町大張大蔵・大張川張にあたる。
地理
[編集]- 山:砂山 (274m)
- 河川:阿武隈川
沿革
[編集]- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、大蔵村と川張村が合併して大張村が発足。
- 昭和29年(1954年)12月1日 - 丸森町・金山町・大内村・耕野村・小斎村・舘矢間村・筆甫村と合併し、新制の丸森町となる。
行政
[編集]歴代村長
[編集]代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 山本美雄 | 明治22年(1889年)4月23日 | 明治28年(1895年)3月28日 | |
2 | 山本健治 | 明治28年(1895年)4月1日 | 明治28年(1895年)4月10日 | |
3 | 佐藤清 | 明治28年(1895年)4月16日 | 明治31年(1898年)1月19日 | |
4 | 佐藤清助 | 明治31年(1898年)3月23日 | 明治32年(1899年)1月30日 | |
5 | 佐藤右膳 | 明治32年(1899年)3月24日 | 明治32年(1899年)5月15日 | |
6 | 佐藤久平 | 明治32年(1899年)8月29日 | 明治44年(1911年)2月27日 | |
7 | 佐藤嘉助 | 明治44年(1911年)3月17日 | 大正12年(1923年)3月16日 | |
8 | 原田敬也 | 大正12年(1923年)3月23日 | 昭和2年(1927年)9月15日 | |
9 | 高橋峻平 | 昭和2年(1927年)9月16日 | 昭和2年(1927年)10月3日 | |
10 | 佐藤弘 | 昭和2年(1927年)10月16日 | 昭和4年(1929年)4月23日 | |
11 | 村上三雄吉 | 昭和4年(1929年)4月29日 | 昭和8年(1933年)4月28日 | |
12 | 原田敬也 | 昭和8年(1933年)4月29日 | 昭和10年(1935年)7月25日 | 再任 |
13 | 大槻徳治 | 昭和10年(1935年)11月3日 | 昭和21年(1946年)10月23日 | |
14 | 宍戸新吾 | 昭和21年(1946年)10月23日 | 昭和23年(1948年)9月8日 | |
15 | 原田敬也 | 昭和23年(1948年)10月28日 | 昭和25年(1950年)5月25日 | 三任 |
16 | 佐藤万 | 昭和25年(1950年)7月11日 | 昭和29年(1954年)11月30日 |
防災
[編集]- 大張村消防団
- (組織体制)2分団5班で構成。
- (団員数)80名
- (装備)当時の装備は動力消防ポンプ1台、手押し腕用消防ポンプ4台であった。
教育
[編集]- 大張村立大張小学校
- 大張村立大張中学校
参考文献
[編集]- 『宮城県町村合併誌』(宮城県地方課、1958)
- 『丸森町史』(宮城県伊具郡丸森町、1986)