コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

大木正幹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大木 正幹 Portal:陸上競技
大木正幹(1932年)
選手情報
ラテン文字 Seikan OKI
国籍 日本の旗 日本
競技 陸上競技短距離走
種目 400メートル競走
大学 法政大学
生年月日 (1907-01-14) 1907年1月14日[1]
生誕地 日本の旗 日本 宮崎県[1]
没年月日 (2000-10-19) 2000年10月19日(93歳没)[1]
死没地 日本の旗 日本 埼玉県[1]
自己ベスト
400m 50秒0(1932年)[1]
編集 テンプレートのヘルプを表示する

大木 正幹(おおき せいかん)は、日本の陸上競技短距離走)選手・指導者。法政大学在学中[2]の1932年、ロサンゼルスオリンピック400m走4×400mリレーで出場した。

経歴

[編集]

旧制延岡中学校(現在の宮崎県立延岡高等学校)出身[3]法政大学に進学。

短距離走の選手であるが、1930年の東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝。第11回)に出場した。箱根駅伝にはその後も1931年(第12回)、1932年(第13回)、1933年(第14回)と、計4度出場している[4]

1932年、日本学生陸上競技対校選手権大会(日本インカレ)の400m走で優勝[5]1932年ロサンゼルスオリンピックの日本代表に選ばれ、400m走と4×400mリレーに出場。400m走では2次予選落ち[注釈 1]。4×400mリレー(中島亥太郎増田礒・大木正幹・西貞一)で5位入賞[6][7]。なお、大木は法政大学出身者としては初のオリンピック選手の一人[注釈 2]である[8][9]

卒業後、大木は母校法政大学の陸上競技部の監督を務めた[9]。指導者としては、形に当てはめた指導や練習の強制を誤りと主張し、選手それぞれの体力や個性に適した走法を取り入れた[9]

また、日本陸上競技連盟の運営に関わり[9]、1939年にウィーンで開催された万国学生陸上競技大会 (1939 International University Games (Vienna)では、日本選手団の総務を務めた[10][注釈 3]

第二次世界大戦後、1947年の日本学生陸上競技連合(日本学連)の再建[注釈 4]にもOB役員として参画している[11]

記念

[編集]
  • 延岡駅前複合施設「エンクロス」の西側市民交流広場には「延岡市ゆかりの歴代オリンピック・パラリンピック出場者・手形足形モニュメント」がある。大木はその筆頭に置かれている[12][13]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 公式記録としては「記録なし」。Sports Referenceによれば、1次予選2組を2位(50秒5)で通過[1]
  2. ^ 同大会には中尾明もボクシングで出場している[8]
  3. ^ 選手団の団長は大島鎌吉[10]
  4. ^ 戦時中、学生スポーツ団体は文部省の外郭団体である大日本学徒体育振興会に吸収されることとなり、日本学連は1942年に解散していた[11]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f Seikan Oki Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月16日閲覧。
  2. ^ 中澤篤史 2010, p. 41.
  3. ^ オリンピック派遣陸上代表選手」『日伯新聞』1932年8月11日、4面。2021年3月15日閲覧。
  4. ^ 選手・監督コーチ名検索:大木 正幹”. 東京箱根間往復大学駅伝競走公式サイト. 2021年3月16日閲覧。
  5. ^ 大木正幹”. 箱根駅伝の記録. 2021年3月16日閲覧。[信頼性要検証]
  6. ^ オリンピック入賞者 第8回~第11回(1924~1936)”. 日本陸上競技連盟. 2021年3月16日閲覧。
  7. ^ 大会別日本代表選手 入賞者一覧 > 1932年ロサンゼルス大会”. 日本オリンピック委員会. 2021年3月16日閲覧。
  8. ^ a b 知の殿堂で知る 日本の近現代史 法政大にミュージアム 一般開放も」『東京新聞』2020年12月25日。2021年3月15日閲覧。
  9. ^ a b c d 法政陸上の開拓者たち~法政初のオリンピアン・大木正幹~”. 法政大学 (2021年). 2023年2月19日閲覧。
  10. ^ a b 小田洋水 1986, p. 23.
  11. ^ a b 金暉 2019, p. 43.
  12. ^ 延岡ゆかり、歴代五輪出場選手46人の手形と足形 延岡駅前に登場 2年10カ月ぶり設置 /宮崎」『毎日新聞』2018年11月29日。2021年3月15日閲覧。
  13. ^ 夢をかなえた延岡ゆかりのアスリートたち」『広報のべおか』第930巻、延岡市、2020年1月、6頁、2021年3月15日閲覧 

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]