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大本営政府連絡会議

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大本営政府連絡会議(だいほんえいせいふれんらくかいぎ)は、1937年(昭和12年)11月の大本営設置に伴い、政府(国務)と大本営(統帥)との総合調整を目的として設置された会議[1][2]

概説

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1937年(昭和12年)、近衛内閣日露戦争後初めて大本営を設置した[3]。しかし、当時の日本では統帥権は政治権力から分離され(統帥権の独立)、大本営には文民である内閣総理大臣(首相)は入れなかったため、軍と政府との情報交換の場として設置された[3]。大本営政府連絡会議は法制上の根拠をもつ組織ではなく、政府と統帥部の申し合わせによって成立した組織であった[2]

会議の出席者は、内閣総理大臣陸軍大臣海軍大臣及び関係閣僚、参謀総長軍令部総長とされたが、実際には参謀総長や軍令部長ではなく参謀次長や軍令部次長が出席していた[2]。また、幹事として陸軍省及び海軍省軍務局長内閣書記官長が出席した[2]

歴史

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会議は第1次近衛内閣で設置され、1937年(昭和12年)11月24日に初回の会議が開催されたが、1938年(昭和13年)1月以降中断した[2]平沼内閣阿部内閣米内内閣では一度も開催されなかった[2]

1940年(昭和15年)に第2次近衛内閣が成立すると、大本営政府連絡懇談会の名称で復活した[2][3]。さらに1941年(昭和16年)の第3次近衛内閣において再度、大本営政府連絡会議となった。

東條内閣成立後は連日のように開催され、太平洋戦争開戦から退陣まで約120回にわたり開催された[3]1942年(昭和17年)12月10日には初めて御前会議の形式で大本営政府連絡会議が開催された[2]

ただ、大本営政府連絡会議には陸海軍の作戦計画を統合的に指導する役割はなく、首相の東條も最終的に権力集中の批判を覚悟で参謀総長を兼務したものの、政府と軍部の事務作業が効率的に改善された程度で終わったとされる[3]

東條の後を受けた小磯国昭は、連絡会議を「自由な放談あるいは議論を述べることができる」場とするべく、1944年8月、連絡会議を最高戦争指導会議へと発展的解消させた[4]。しかし、山本五十六が指摘していた「陸海軍共同作戦の最高指導部」は最後まで実現することはなかった[3]

一覧

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以下は開催された大本営政府連絡会議・大本営政府連絡懇談会の一覧である。

表. 開催された大本営政府連絡会議(赤背景: 御前会議行き
回数 会名 開催日 議題 政府 出典
(初回) 大本営政府連絡会議 1937年11月24日 第1次近衛内閣 [5]
1938年01月09日 (支那事変処理根本方針)
1938年01月15日 トラウトマン和平工作 [6]
第01回 大本営政府連絡懇談会 1940年11月28日 国民政府(汪兆銘政権)承認 第2次近衛内閣 [7]
第26回 1941年05月29日 蘭領インドシナ交渉

対米国交調整

[8]
第27回 1941年06月05日 - [9]
第28回 1941年06月06日 クロアチア承認

三国同盟加入

独ソ開戦

[10]
第29回 1941年06月11日 日蘭交渉 [11]
第30回 1941年06月12日 『南方施策促進ニ関スル件』 [12]
第31回 1941年06月16日 『南方施策促進ニ関スル件』 [13]
第32回 1941年06月25日 『南方施策促進ニ関スル件』(決定)

情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱

[14]
第33回 1941年06月26日 『情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱』 [15]
第34回 1941年06月27日 『情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱』 [16]
第35回 1941年06月28日 『情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱』(決定) [17]
第36回 1941年06月30日 『情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱』閣議提出案

御前会議における外務大臣説明案

対独通告文

[18]
第37回 1941年07月01日 御前会議における外務大臣説明案

対独通告文決定

[19]
第38回 1941年07月10日 日米国交調整

6月21日付ハル長官回答への外務省意見

[20]
第39回 1941年07月12日 日米国交調整

対ソ戦争に伴う満州国取り扱い要領決定

[21]
第40回 大本営政府連絡会議 1941年07月21日 第三次近衛内閣初顔合わせ 第3次近衛内閣 [22]
第50回 1941年09月03日 帝国国策遂行要領』(決定) [23]
第58回 1941年10月09日 米側回答に対する帝国の態度 [24]
第59回 1941年10月23日 帝国国策遂行要領』(再検討) 東條内閣 [25]
第60回 1941年10月24日 『帝国国策遂行要領』 [26]
第61回 1941年10月25日 『帝国国策遂行要領』 [27]
第62回 1941年10月27日 『帝国国策遂行要領』 [28]
第63回 1941年10月28日 『帝国国策遂行要領』 [29]
第64回 1941年10月29日 『帝国国策遂行要領』 [30]
第65回 1941年10月30日 『帝国国策遂行要領』 [31]
第66回 1941年11月01日 『帝国国策遂行要領』(決定)

『対米交渉要領決定』(決定)

[32]

脚注

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  1. ^ 特別展示 日中戦争と日本外交〈展示史料解説〉”. 外務省外交史料館. 2024年3月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 大本営政府連絡会議”. 国立公文書館. 2024年3月19日閲覧。
  3. ^ a b c d e f チャーチルと近衛・東条 明暗分けた組織力とスピード感”. 日経BizGate. 2024年3月19日閲覧。
  4. ^ 統帥と国務の調整のため設置(昭和19年8月6日 毎日新聞(東京))『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p230-p231
  5. ^ "昭和12年(1937年)... 大本営と政府の主要メンバーの間で随時会談する協議体を作る申し合わせができ、最初の会議が同年11月24日に行われました。... この会議は、大本営政府連絡会議と通称され" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  6. ^ "参謀本部、大本営政府連絡会議で政府の和平交渉打ち切り案に反対、結局政変回避のため屈服(15日)" アジ歴グロッサリー. 公文書に見る戦時と戦後. 2024-04-10閲覧.
  7. ^ "昭和15年(1940年)11月28日、第1回大本営政府連絡懇談会が開催されました。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  8. ^ "昭和16年(1941年)5月29日、第26回の大本営政府連絡懇談会が開催されました。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  9. ^ "昭和16年(1941年)6月5日、第27回の大本営政府連絡懇談会が開催されました。... この会議では重要議題には触れなかった" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  10. ^ "昭和16年(1941年)6月6日、第28回の大本営政府連絡懇談会が開催されました。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  11. ^ "昭和16年(1941年)6月11日、第29回大本営政府連絡懇談会が開かれ、日本側代表の蘭領東インドからの引き揚げが決定されました。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  12. ^ "昭和16年(1941年)6月12日、第30回の大本営政府連絡懇談会が開催されました。... まず永野軍令部総長から「南方施策促進ニ関スル件」について説明がなされています。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  13. ^ "昭和16年(1941年)6月16日、第31回の大本営政府連絡懇談会が開催されました。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  14. ^ "昭和16年(1941年)6月25日、午後1時より、第33回大本営政府連絡懇談会が開催され、ここで、「南方施策促進に関する件」、すなわち南部仏領インドシナへの進駐が決定されました。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  15. ^ "昭和16年(1941年)6月26日、午前10時より、第33回大本営政府連絡懇談会が開催され" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  16. ^ "昭和16年(1941年)6月27日、午後1時より、第34回大本営政府連絡懇談会が開催されました。この会議では、前回に引き続き、この後の日本の国策を定める国策要綱の検討が進められました。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  17. ^ "昭和16年(1941年)6月28日、午後2時より、第35回大本営政府連絡懇談会が開催されました。この会議では、ドイツ・ソ連間の開戦を受けての国策要綱(「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」)が決定されました。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  18. ^ "昭和16年(1941年)6月30日、午後5時から午後9時にかけて、第36回大本営政府連絡懇談会が開催されました。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  19. ^ "昭和16年(1941年)7月1日、午後2時より、前日に続くかたちで第37回大本営政府連絡懇談会が開催されました。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  20. ^ "昭和16年(1941年)7月10日、第38回大本営政府連絡会議が開催されました。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  21. ^ "昭和16年(1941年)7月12日、第39回大本営政府連絡懇談会が開催され、前回に引き続いて6月22日(米時間21日)にハル米国務長官より手交された案についての議論が行なわれました。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  22. ^ "昭和16年(1941年)7月21日、大本営政府連絡会議が開催されました。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  23. ^ "昭和16年(1941年)9月3日、午前11時から午後6時にかけて、第50回大本営政府連絡会議が開催されました。この会議では、長時間にわたる議論を経て「帝国国策遂行要領」が決定されました。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  24. ^ "昭和16年(1941年)10月9日、午後4時頃より、第58回大本営政府連絡会議が開催されました。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  25. ^ "昭和16年(1941年)10月23日、第59回大本営政府連絡会議が開かれ、「国策遂行要領」の再検討が行われました。この会議は、東条英機内閣成立後、最初の連絡会議です。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  26. ^ "昭和16年(1941年)10月24日に開催された大本営政府連絡会議において、9月6日の御前会議で決定された、国策遂行要領についての再検討が開始されました。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  27. ^ "昭和16年(1941年)10月25日に開催された大本営政府連絡会議では、前日の会議に引き続いて、9月6日の御前会議で決定された、国策遂行要領についての再検討が行われました。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  28. ^ "昭和16年(1941年)10月27日、大本営政府連絡会議が開かれ、前回に引き続き、国策遂行要領の再検討が行われました。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  29. ^ " 昭和16年(1941年)10月28日、大本営政府連絡会議が開かれ、前日に引き続き、国策遂行要領の再検討が行われました。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  30. ^ "昭和16年(1941年)10月29日と30日、大本営政府連絡会議が開かれ、前回に引き続いて「国策遂行要領」の再検討が行われました。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  31. ^ "昭和16年(1941年)10月29日と30日、大本営政府連絡会議が開かれ、前回に引き続いて「国策遂行要領」の再検討が行われました。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.
  32. ^ "昭和16年(1941年)11月1日、大本営政府連絡会議が開かれ、10月23日からの7回にわたる会議で進めてこられた「国策遂行要領」の再検討について、その結論が出されました。" アジア歴史資料センター. 公文書に見る日米交渉 - 開戦への経緯 -. 2024-04-10 閲覧.

外部リンク

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