大橋功男
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 静岡県 |
生年月日 | 1951年??月??日 |
没年月日 | 2023年11月2日 (71–72歳没) |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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大橋 功男(おおはし いさお、1951年 - 2023年11月2日[要出典])は、日本の元アマチュア野球選手である。ポジションは投手。
来歴・人物
[編集]静岡市立安倍川中学校では野球部のエースとして活躍した[1]。高校は静岡県立静岡高等学校に進学し[2]、1969年の夏の甲子園県予選4回戦では伊東高を相手に、6四死球を与えるもノーヒットノーランを達成。決勝に進むが藤波行雄や松島英雄らがいた静岡商に敗退し、甲子園への出場は実現しなかった。同年のドラフト会議で東映フライヤーズから8位指名されたが入団を拒否[3]。
早稲田大学に進学。東京六大学野球リーグでは1年下の矢野暢生とともに投の中心となり、1973年春季リーグで優勝[4]。リーグ通算47試合登板、13勝11敗、防御率2.80、96奪三振。大学同期に楠城徹、鈴木治彦、鍛冶舎巧らがいる。
大学卒業後は日本石油に入社。主にリリーフとして起用され根本隆、土居正史らの先発陣を支える。1974年から2年連続で都市対抗に出場[5]。1975年限りで引退。
1981年、「静岡クラブ」(後の静岡硬式野球倶楽部)の初代監督に就任[6]。
脚注
[編集]- ^ 満, 清水 (2024年3月3日). “ヒーローはプロレスの力道山 話の肖像画 元プロ野球選手・新浦壽夫<3>”. 産経ニュース. 2024年3月23日閲覧。
- ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 241、242頁。
- ^ “過去のドラフト 第5回(1969年) - ドラフト会議 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2020年6月25日閲覧。
- ^ 「東京六大学野球連盟(記録)」(一財)東京六大学野球連盟
- ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
- ^ “OB紹介 – 静岡硬式野球倶楽部”. 2024年3月23日閲覧。