大洗ゴルフ倶楽部
大洗ゴルフ倶楽部 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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所在地 |
日本 茨城県東茨城郡大洗町磯浜町8231-1 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
概要 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
開業 | 1953年10月25日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営 | メンバーシップコース | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
設計 | 井上誠一 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営者 | 株式会社 水戸カンツリー倶楽部 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トーナメント |
日本プロゴルフ選手権(1960) 日本アマチュアゴルフ選手権(1960,1985) 日本オープンゴルフ選手権(1998) 日本女子アマチュアゴルフ選手権(2014) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コース | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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その他 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公式サイト | 大洗ゴルフ倶楽部 |
大洗ゴルフ倶楽部(おおあらいゴルフくらぶ)は茨城県東茨城郡大洗町にあるゴルフ場で、鹿島灘に面しているシーサイド・リンクスである。開場は1953年で、茨城県では名門として知られ、静岡県伊東市の川奈ホテルゴルフコース 富士コースなどと共に日本屈指の難易度を誇っている(参考:コースレート 男性74.4 女性79.8)。メンバーシップ制を採用しているため、会員の紹介による予約が必要である。
コース概要
[編集]- 所在地:茨城県東茨城郡大洗町磯浜町8231-1
- 運営母体:株式会社水戸カンツリー倶楽部
- コースセッティング:18ホールズ、7190ヤード、パー72
- 上記はバックティー使用時。
- なお、2007年の三菱ダイヤモンドカップゴルフは7156ヤード、パー71で、2022年に開催されたアジアパシフィックオープンダイヤモンドカップでは7163ヤード,パー70で行われた。
- コース設計:井上誠一
逆転の大洗
[編集]「ダイヤモンドカップゴルフ」においては、過去に何度も逆転劇が起きている。前身の「三菱ギャラン」では、1986年に中嶋常幸が、最終日に首位の金井清一との4打差を逆転し、この大会3年ぶり3度目の優勝を飾った。[注釈 1]1993年は、台湾の陳志忠が首位の尾崎将司を逆転して優勝。その尾崎は3年後の1996年、最終日に日本記録となる8打差を追いつき、アメリカのトッド・ハミルトンとのプレーオフを制して大会初優勝を飾った。「ダイヤモンドカップゴルフ」としては、2001年の大会では初日116位と低迷した伊沢利光が2日目以降徐々にスコアを伸ばし、藤田寛之、五十嵐雄二とのプレーオフを制した。2003年の大会は、トッド・ハミルトンが、2日目から首位に立っていた真板潔を逆転して優勝した。しかし、2004年の大会は3日目トップに立った平塚哲二がそのまま逃げ切って優勝、初めて「逆転の大洗」の異名が崩れてしまったが、3年後の2007年は平塚が2日目からトップに立った谷口徹との4打差を逆転、大会2度目の優勝を飾った。2009年は3日目2位タイだった兼本貴司がトップにいたオーストラリアのブレンダン・ジョーンズを3ホールに及ぶプレーオフで下した。2022年には、今平周吾が、首位と1打差で迎えた最終日に逆転して優勝を飾った。
また、1998年の日本オープン選手権では、田中秀道が、首位の尾崎直道との3打差を逆転し、国内メジャー初優勝を飾った。
開催イベント
[編集]本コースでは日本男子ツアーの「ダイヤモンドカップゴルフ」が大会最多となる11回が開催されている。
メジャー大会(公式戦)では1960年に「日本プロ選手権」が、1998年には「日本オープン選手権」(優勝は田中秀道)がそれぞれ行われている。
また2022年には日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)のプロテスト最終ラウンドが開催[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ この年は、2日目が雨のため中止となり、最終日に36ホールの決勝ラウンドを行うことになった。予選2ラウンドを終わって、金井が7アンダーで首位、2打差の2位に台湾の陳志明、さらに2打差の3位に中嶋と青木功が続いた。そして迎えた最終日、中嶋は午前の第3ラウンドでスコアを3つ伸ばして通算6アンダーとし、オーストラリアのテリー・ゲールとともに首位の金井に2打差の2位タイに浮上。続く午後の最終ラウンドでは、出だしの1番ホール(当時398メートル(435ヤード)、パー4)でトリプルボギーを叩きながらも、その後バーディーを重ね、金井、ゲール、尾崎将司、陳志明との競り合いに持ち込んだ。そして15番ホール(当時498メートル(545ヤード)、パー5)で中嶋、金井が共にバーディーを奪い8アンダーで抜け出すと、直接の16番ホール(224メートル(245ヤード)、パー3)で金井がボギーを叩き単独首位に。その後上がり2ホールを手堅くパーにまとめ、陳志明に1打差をつけて逃げ切った。
出典
[編集]- ^ 2022年度 プロテストスケジュール 日本女子プロゴルフ協会