大津村 (静岡県)
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おおつむら 大津村 | |
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廃止日 | 1955年1月1日 |
廃止理由 |
編入合併 大長村、大津村 → 島田市 |
現在の自治体 | 島田市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 静岡県 |
郡 | 志太郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 15.24 km2. |
総人口 |
2,908人 (国勢調査、1950年10月1日) |
隣接自治体 | 島田市、藤枝市、志太郡大長村、六合村、瀬戸谷村 |
大津村役場 | |
所在地 | 静岡県志太郡大津村落合176 |
座標 | 北緯34度51分13秒 東経138度10分54秒 / 北緯34.85367度 東経138.18161度座標: 北緯34度51分13秒 東経138度10分54秒 / 北緯34.85367度 東経138.18161度 |
大井川流域の町村制施行時の町村。13が大津村。 | |
ウィキプロジェクト |
大津村(おおつむら)は静岡県の中部、志太郡に属していた村である。現在の島田市中心部に北接する地域にあたる。
地理
[編集]- 山:千葉山
- 河川:大津谷川、尾川
歴史
[編集]かつて野田、落合、大草、尾川の辺りは大津郷と呼ばれていたとされ、大津谷という通称が残る[1]。『和名類聚抄』に「大津郷」の名が見られるが、天平年間(729年 - 749年)にはすでに存在していたと推定される[2]。平安時代後期は「大津御厨」(伊勢神宮の荘園)[3]であった。
千葉山には宝亀二年(771年)開創の智満寺があり、のち源頼朝が千葉介常胤を奉行として中興[4]。
行政の変遷
[編集]- 明治4年 - 後の大津村の村域には、落合村、大草村、野田村、尾川村と千葉山が存在した[5]。
- 明治5年
- 1875年(明治8年) - 千葉山が千葉村に改置される[5]。ただし、従来通り千葉山と書かれることもあった[1]。
- 1879年(明治12年) - 郡区町村編制法が施行される[7]。1886年時点では落合村に戸長役場を置き、落合村、大草村、野田村、尾川村、千葉村を管轄した[8]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行に伴い、落合村、大草村、野田村、尾川村、千葉村が合併して大津村が発足する[1]。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 島田市に編入され、廃止[9]。
脚注
[編集]- ^ a b c 島田市史編纂委員会 1973, pp. 270–276.
- ^ 日本歴史地名大系『大津郷』 - コトバンク
- ^ 日本歴史地名大系『大津御厨』 - コトバンク
- ^ 日本歴史地名大系『智満寺』 - コトバンク
- ^ a b 島田市史編纂委員会 1973, pp. 247–251.
- ^ 島田市史編纂委員会 1973, pp. 244–245.
- ^ 島田市史編纂委員会 1973, pp. 251–253.
- ^ 島田市史編纂委員会 1973, pp. 247–251, 267–268.
- ^ 島田市史編纂委員会 1973, pp. 732–734.