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大浜町 (愛知県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おおはまちょう
大浜町
大浜町道路元標
大浜町道路元標
廃止日 1948年4月5日
廃止理由 新規合併
現在の自治体 碧南市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
碧海郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 12,117
(1947年10月1日)
大浜町役場
所在地 愛知県碧海郡大浜町
座標 北緯34度53分05秒 東経136度59分36秒 / 北緯34.88478度 東経136.99336度 / 34.88478; 136.99336 (大浜町)座標: 北緯34度53分05秒 東経136度59分36秒 / 北緯34.88478度 東経136.99336度 / 34.88478; 136.99336 (大浜町)
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1917年の大浜町

大浜町(おおはまちょう)は、かつて愛知県碧海郡にあったである。江戸廻船の基地である大浜湊(大浜港)があり、古くから海運で栄えた。

現在の碧南市の中心部(野田町、松本町、沢渡町、伊勢町、宮町、浜田町、西浜町、塩浜町、錦町、築山町、音羽町、浜寺町、中町、羽根町、本郷町、作塚町、石橋町、中松町、権現町、岬町、若松町、入船町、権田町、大浜上町、向陽町、植出町、宮後町、末広町、栄町、雨池町)に該当する(詳しくは碧南市の地名#旧大浜町を参照)。

沿革

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衣ヶ浦と呼ばれた海に突き出す半島状の大村。海に沿って大きな砂浜(大浜)が広がり、大浜湊(大浜港)は古くから海上交通の要衝として栄えた。

『和名抄』では幡豆郡大浜郷に属していたが、近世矢作川の改修によって碧海郡に編入された。1409年(応永16年)の『熊野道者日記』(大乗院記録)に「一所大浜郷」と記され、1499年(明応8年)の『富士歴覧記』に「緒川より舟にて三河へ行侍しに、(中略)大浜といふ所へ舟よせて」とある。連歌師宗牧の『東国紀行』(1544年、天文14年)には「舟のこと昨日よりいひつけられたれば、てまもいらず、暮れはてて、参河大浜まで押しつけたり」とある。

  • 1559年(永禄2年) - 徳川家康が大浜郷七ヵ寺に朱印地を与える。
  • 1576年(天正4年) - 徳川家康が羽城[1]を築城する。

藩政期の大浜町は、1604年(慶長9年)幕府領、1625年(寛永2年)西尾藩領、1643年(寛永20年)幕府領、1645年(正保2年)西尾藩領、1659年(万治2年)幕府領、1769年(明和6年)大浜藩領、1777年(安永6年)沼津藩領となって幕末に至る。

教育

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現在の碧南市立大浜小学校(旧・大浜町立大浜小学校)

小学校

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中学校

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交通

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現在の碧南駅(旧・大浜港駅)

街道

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鉄道

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神社・仏閣

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西方寺

娯楽

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1951年の寿々喜座
  • 玉津浦海水浴場
    1915年(大正4年)7月15日、大浜熊野大神社の西側に玉津浦海水浴場が開場した[3]。なお、前年の1914年(大正3年)には新須磨海水浴場も開場している[4]。1921年(大正10年)には日赤大浜児童保養所が開設され、愛知県中から集まった虚弱児童が海水浴を楽しんだ[3]。1926年(大正15年)に開業した三河鉄道玉津浦駅(後の名鉄三河線玉津浦駅)はこの海水浴場が名称の由来である。1959年(昭和34年)の伊勢湾台風後には護岸工事が行われ、さらに1964年(昭和39年)には衣浦港の造成工事に着工したことで、昭和40年代には玉津浦海水浴場も消滅した。大浜熊野大神社の松林の中には共同シャワーの遺構が残っている[5]
  • 寿々喜座
    1879年(明治12年)に大浜村営の蓬莱座として開館した劇場。現在の碧南市域では初めて開館した劇場である[6]。1902年(明治35年)には民間に譲渡され、寿々喜座(すずきざ)に改称した。当初は浪花節や軽演劇が上演されていたが、やがて映画が主体となり、戦後には洋画の専門館としてにぎわった[7]。1960年(昭和35年)の碧南市には、寿々喜座、新盛座新川キネマ浜劇三栄座と5館もの映画館がひしめいていた[8]。蓬莱座としての開館から84年後、1963年(昭和38年)に閉館した。跡地には碧海信用金庫碧南支店が建っている[9]

電気

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かつて大浜町に電燈会社があった。才賀藤吉1911年明治44年)10月25日に事業許可を受け碧海電気を12月に設立[10]1912年大正元年)8月4日に事業開始。発電所はもたず岡崎電燈より受電した。送電区域は大浜町、新川町棚尾村高浜町[11]1920年(大正9年)岡崎電燈に合併され[12]1923年(大正12年)に大浜火力発電所が建設された。1944年昭和19年)の東南海地震により発電所の煙突が倒壊。その後は変電所となった[13]

出身者

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脚注

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  1. ^ 後に大浜陣屋が築かれた場所と推測される。
  2. ^ 碧南市発足後の1955年に碧南市立棚尾中学校と統合され、碧南市立南中学校となった。
  3. ^ a b 玉津浦海水浴場(たまつうらかいすいよくじょう) トボトボ歩く碧南市
  4. ^ 常設展「碧南の歴史と文化」 碧南市
  5. ^ 玉津浦海水浴場の共同シャワー 愛知県
  6. ^ 『写真集 明治大正昭和 碧南』国書刊行会、1980年
  7. ^ 『碧海の昭和』樹林舎、2012年
  8. ^ 1960年の映画館(愛知県) 「消えた映画館の記憶」を参照した。元の出典は『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』日本図書センター、1999年、p.135。
  9. ^ 大浜本町通り トボトボ歩く 碧南市
  10. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第21回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 『電気事業要覧. 第8回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 『電気事業要覧. 第13回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 『碧南市史』2巻、638-639頁

関連項目

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