大浜郁子
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大浜 郁子(おおはま いくこ、 1973年 - )は、日本の歴史学者。専門は日本近現代史(植民統治史)。琉球大学人文社会学部准教授。国際日本文化研究センター共同研究員。早稲田大学台湾研究所招聘研究員、早稲田大学琉球・沖縄研究所招聘研究員。[1]法政大学沖縄文化研究所国内研究員。[2]
経歴
[編集]- 1996年 琉球大学法文学部法政学科卒業
- 1998年 琉球大学大学院人文社会科学研究科応用法学・社会科学専攻修士課程修了
- 2004年 法政大学大学院人文科学研究科日本史学専攻博士後期課程退学
- 2004年 東京大学文学部研究生(~2005年)
- 2004年 法政大学兼任講師
- 2010年 琉球大学法文学部国際言語文化学科講師
- 2011年 琉球大学法文学部国際言語文化学科准教授
- 2018年 琉球大学人文社会学部琉球アジア文化学科准教授
論文
[編集]- 「「琉球教育」と台湾における植民地教育-日清戦争前後の学務官僚児玉喜八の動向を中心に-」『沖縄文化研究』28号(2002年3月)
- 「内藤耻叟における日本の台湾領有論」『沖縄文化研究』29号(2003年3月)
- 「台湾統治初期における植民地教育政策の形成-伊沢修二の「公学」構想を中心として-」『日本植民地研究』15号(2003年6月)
- 「福沢諭吉と「大日本節酒会」-宮崎蘇庵宛福沢書簡について-」『日本歴史』664号(2003年9月)
- 「「是レハ甚不都合二付、早々御除名被下度」-大日本節酒会と福沢諭吉-」『福澤手帖』 120号(2004年3月)
- 「「書房義塾相關規程」(府令)之制定過程與臺灣公學校設置之關連」『臺灣文獻』56巻2期,台湾(2005年6月)
- 「加害の元凶は牡丹社蕃に非ず-「牡丹社事件」からみる沖縄と台湾-」『二十世紀研究』7号(2006年12月)
- 「「牡丹社事件」再考-なぜパイワン族は琉球島民を殺害したのか-」『台湾原住民研究』11号(2007年3月)
- 「田代安定にみる恒春と八重山-「牡丹社事件」と熱帯植物殖育場設置の関連を中心に-」『民族學界』31期,台湾(2013年4月)
- 「田代安定はなぜ沖縄から台湾へ異動したのか-田代による「旧慣」調査の前提として」『第七屆臺灣總督府檔案學術研討會論文集』,台湾(2013年5月)
- 「田代安定にみる沖縄と台湾における「旧慣」調査と統治政策の形成」『第九屆臺灣總督府檔案學術研討會論文集』,台湾(2017年5月)
共著
[編集]- 「書房・義塾参考書の制定過程にみる台湾の植民地的近代教育の形成」(『日本の朝鮮・台湾支配と植民地官僚』,松田利彦ほか編,思文閣,2009年)
- 「沖縄出身者の台北師範学校における台湾教育経験と沖縄の「戦後」復興への取り組み」(『地域社会から見る帝国日本と植民地 -朝鮮・台湾・満洲 』,松田利彦ほか編,思文閣,2013年)
- 「琉球大学における「日本復帰」」(『帝国日本と植民地大学』,酒井哲哉ほか編,ゆまに書房,2014年)
参照
[編集]- ^ “早稲田大学 台湾研究所”. 2013年9月19日閲覧。
- ^ “2013年度 沖縄文化研究所名簿”. 2013年9月19日閲覧。