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大溝陣屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大溝陣屋 長屋門

大溝陣屋(おおみぞじんや)は近江国高島郡(現在の滋賀県高島市勝野)にあった、大溝藩の藩庁である。

概要

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元亀3年(1572年織田信長が高島郡に進攻すると、天正7年(1579年津田信澄が高島郡を領し、明智光秀の縄張りで大溝城が築かれた。天正10年(1582年本能寺の変で信澄は明智光秀の娘を正室にしていたことから、大坂で殺害されてしまった。信澄の後には、丹羽長秀加藤光泰生駒親正京極高次と目まぐるしく城主が替わったが、京極高次が近江八幡へ転封となった後は無城主となっていた。

元和5年(1619年分部光信伊勢国上野より2万石で入封した。しかし、元和の一国一城令の対象となり、三の丸を残して大溝城を破壊してしまった。

分部氏は三の丸に陣屋を構え、11代続き明治維新を迎えた。

2015年(平成27年)4月24日、「琵琶湖とその水辺景観- 祈りと暮らしの水遺産 」の構成文化財として日本遺産に認定される[1]

遺構

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扉は失われているものの、「総門」と呼ばれる長屋門が現存している。武家屋敷地への出入り口の正門であったと考えられている。宝暦5年(1755年)の大改修を経て、近年まで民家として使われていた。現在は高島市が買い上げ、高島市の有形文化財にも指定されている。

脚注

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  1. ^ 琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産”. 文化庁. 2020年9月20日閲覧。

外部リンク

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