大炊御門嗣雄
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時代 | 鎌倉時代後期 |
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生誕 | 不詳[1] |
死没 | 正中2年10月23日(1325年11月29日) |
改名 | 冬実→嗣雄 |
官位 | 従二位、非参議 |
主君 | 亀山天皇→後宇多天皇→伏見天皇→後伏見天皇→後二条天皇→花園天皇→後醍醐天皇 |
氏族 | 大炊御門家 |
父母 | 父:大炊御門信嗣、母:惟宗昌俊の娘 |
兄弟 | 良宗、嗣雄 |
大炊御門 嗣雄(おおいのみかど つぐお)は、鎌倉時代末期の公卿。太政大臣・大炊御門信嗣の二男。官位は従二位・非参議。
家嫡であった異母兄・良宗よりも長命であった。
経歴
[編集]以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
- 文永2年(1265年)11月8日、従五位下に叙せられる。
- 文永3年(1266年)2月1日、侍従に任ぜられる。
- 文永4年(1267年)2月27日、従五位上に昇叙。
- 文永6年(1269年)1月5日、正五位下に昇叙。
- 文永7年(1270年)1月21日、伊予権介に任ぜられる。同年閏9月4日、従四位下に昇叙。侍従は元の如し。
- 文永8年(1271年)7月2日、従四位上に昇叙[2]。
- 文永11年(1274年)2月20日、右少将に任ぜられる。同年10月3日、左中将に転任。
- 建治元年(1275年)1月6日、正四位下に昇叙[3]。
- 建治2年(1276年)1月23日、播磨介を兼ねる。同年5月26日、春宮権亮を兼ねる。
- 建治3年(1277年)12月4日、春宮権亮を辞した。
- 弘安9年(1286年)閏12月16日、左中将を辞した[4]。
- 徳治2年(1307年)8月23日、大納言であった兄・良宗が薨去[5]。
- 延慶2年(1309年)12月30日、従三位に叙せられる。
- 延慶4年(1311年)3月20日、父・信嗣が薨去。
- 正和3年(1314年)1月5日、正三位に昇叙。
- 正和5年(1316年)11月23日、従二位に昇叙。
- 正中2年(1325年)9月、出家。同年10月23日、薨去。享年は60〜64と推測される。