大網広道
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大網 広道(おおよさみ の ひろみち)は、奈良時代の貴族。姓は公。官位は外従五位下・主計助。
出自
[編集]大網氏は上毛野朝臣氏の同族とする[1]、渡来系氏族。大網の呼称は摂津国住吉郡大羅郷(現在の大阪市住吉区山之内・杉本・庭井・苅田・我孫子一帯)の地名に因むと推定される[2]。姓は君あるいは公。一族の中には、8世紀後半頃に写経所の経師・校生を務めた者が多く見られる[3]。
経歴
[編集]孝謙朝末の天平勝宝8歳(756年)4月から淳仁朝初頭の天平宝字3年(759年)12月にかけて写経所の校正に従事した記録があり、天平勝宝8歳(756年)大初位下、天平勝宝9歳(757年)大初位上、天平宝字3年(759年)従八位下の位階にあった。
光仁朝後半の宝亀9年(779年)渤海使・張仙寿を渤海に送り届けるための送高麗客使に任命される(この時の位階は正六位上)。しかし、彼が実際に張仙寿らに同行して渡海したかどうかはっきりせず、その後の昇叙が遅れているところから、発遣が中止された可能性がある。
桓武朝の延暦8年(789年)正月に韓国源・秋篠安人とともに外従五位下に昇叙し、3月主計助に任ぜられている。
官歴
[編集]『続日本紀』などによる。
- 時期不詳:大初位下
- 天平勝宝8歳(756年)5月:見散位[4]
- 時期不詳:大初位上
- 天平勝宝9歳(757年)6月:見散位[4]
- 時期不詳:従八位下
- 天平宝字3年(759年):見散位[4]
- 時期不詳:正六位上
- 宝亀9年(778年) 12月17日:送高麗客使
- 延暦8年(789年) 1月7日:外従五位下。3月16日:主計助