大蓮寺 (前橋市)
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大蓮寺 | |
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大蓮寺弁財天堂 | |
所在地 | 群馬県前橋市千代田町3-3-24 |
位置 | 北緯36度23分41秒 東経139度4分12秒 / 北緯36.39472度 東経139.07000度座標: 北緯36度23分41秒 東経139度4分12秒 / 北緯36.39472度 東経139.07000度 |
山号 | 虎淵山(虎渕山) |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 無量寿如来 |
創建年 |
永正2年(1505年)? 元亀2年(1571年)? |
開基 | 勝誉上人文益浄阿 |
正式名 | 虎淵山 大蓮寺 |
法人番号 | 9070005000187 |
大蓮寺(だいれんじ)は、群馬県前橋市千代田町にある浄土宗の寺院である。
歴史
[編集]永正2年(1505年)[2]または元亀2年(1571年)[3]、厩橋城下の柳原にて、超蓮社勝誉上人文益浄阿によって創建された[4]。当時、寺の近くを流れる利根川が「虎ケ渕」と呼ばれていたため、山号を虎渕山とした[4][3]。
慶長6年(1601年)に前橋城主になった酒井重忠により、利根川の洪水氾濫を避けるため、千代田町の現在地に移転した[2]。元和2年(1616年)、弁財天をまつる[3]。
昭和20年(1945年)の前橋空襲により寺のほとんどを焼失し、昭和51年(1976年)に再建された[3]。
境内
[編集]庫裡、境内編入地、大蓮寺墓地、弁財天、大地蔵石像、観音堂、矢頭右衛門七教兼母の墓がある[3]。
矢頭右衛門七教兼母の墓
[編集]寺門を入り正面向かって左手には、赤穂浪士の一人である矢頭右衛門七の母の墓がある[3]。吉良義央邸への討ち入りを果たした教兼が切腹した後、その母は教兼の父・長助の従弟にあたる矢頭庄左衛門に引き取られて奥州白河に赴き、その後、長女の嫁ぎ先に身を寄せ、白河から姫路、前橋へと移り、宝暦2年(1752年)4月15日に85歳で没した[要出典]。
周辺
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 前橋市史編さん委員会 編『前橋市史』 5巻、前橋市、1984年2月1日。