大見嵜八之助
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大見嵜 八之助(おおみさき はちのすけ、1866年9月23日(慶応2年8月15日) - 1939年10月9日)は、現在の千葉県大網白里市四天木[1]出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は原 夘三郎(旧姓斎藤)。6代阿武松。174cm、83kg。最高位は東前頭2枚目。紫雲竜吉之助の伯父。
経歴
[編集]1887年1月序ノ口、1893年1月十両昇進。十両を1場所で通過し、1894年1月入幕を果たした。この時の四股名は玉竜。以来1903年1月の引退まで三役には昇進できなかったが幕内上位をキープした。1899年5月新進の関脇梅ノ谷、1901年5月にも大関梅ノ谷に勝利[2]。引退後は阿武松を襲名し独立。甥の紫雲竜などを育成。勝負検査役を長年務め、1939年年寄として73歳で没。没後の後継者は紫雲竜。
エピソード
[編集]1899年5月場所5日目、前頭4枚目の大見嵜は関脇梅ノ谷(のち横綱2代梅ヶ谷)に対し、立合いに猫騙しを敢行したという。
成績
[編集]- 幕内19場所40勝49敗81休20分預
改名歴
[編集]出典
[編集]- ^ “千葉県出身の幕内力士”. 千葉県ホームページ. 2020年2月25日閲覧。
- ^ 横浜新報著作部 編『当世力士銘々伝』大見嵜八之助,横浜新報社,明36.2. 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3526&l=j
- ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709